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ABBA(アバ)のプロフィール

ABBA

ABBA(アバ)はストックホルムで結成されたスウェーデンのポップ・グループ。

メンバーはAgnetha Fältskog(アグネッタ・フォルツコグ)Björn Ulvaeus(ビョルン・ウルヴァース)Benny Andersson(ベニー・アンダーソン)Anni-Frid Lyngstad(アンニ=フリッド・リングスタッド)の4人組。

ベニーは18歳のとき、「スウェーデンのビートルズ」として人気のあったポップロックグループ、Hep Stars(ヘップ・スターズ)のメンバーになります。またこの時期Hep Houseというレーベルも設立しており、最終的にはベニーがバンドの曲を書くようになります。ビョルンはこの時期フォークグループ「Hootenanny Singers(フーテナニー・シンガーズ)」のメンバーとして活動しており、お互いのバンドはツアーで会う事もあったようです。そしてベニーとビョルンは共同で楽曲制作を行うことになり、完成した楽曲「Is n't It Easy to Say」は後にHep Starsでリリースしています。当時Hootenanny SingersのマネージャーだったStig Anderson(スティーグ・アンダーソン)が2人のコラボレーションに可能性を感じ、もっと書くように説得します。

1969年、ベニーはユーロビジョン・ソング・コンテストに参加し、そこでフリーダ(アンニ=フリッド・リングスタッドの通称)と出会います。Hep StarsとHootenanny Singersはそれぞれ同じタイミングで解散することとなり、ベニーとビョルンはチームを組み、1970年に「Lycka(リッカ)」と呼ばれる最初のアルバムを制作します。

アグネッタは18歳の時にはスウェーデンで1位を獲得するほどの才能あるシンガーソングライターとして注目されていました。1960年代の女性歌手にとっては珍しく自ら作詞作曲をこなしヒットを連発していました。アグネッタは1971年にビョルンと出会い、後に結婚。ベニーとビョルンが楽曲制作するときに、フリーダとアグネッタはしばしばレコーディングスタジオに来て、時折バッキングボーカルを録音する事もありました。1970年4月、2人のカップルが一緒に休暇をキプロス島で過ごしていた時、2組の才能を組み合わせようという話にもなりました。同年「Lycka(リッカ)」をリリース。スティーグはベニーとビョルンの音楽で主流の国際市場に参入することを決意します。

1972年に、ビョルン&ベニー名義でリリースしたシングル「She's My Kind of Girl(邦題:木枯しの少女)」が日本でヒット。同年「Björn & Benny, Agnetha and Anni-Frid」名義でシングル「People Need Love(ピープル・ニード・ラヴ)」をリリースするとスウェーデンでトップ10入りを果たします。スティーグによると、この曲はアメリカの大ヒットだったかもしれないが、Playboy Recordsのような小さなレーベルには小売業者やラジオプログラマーからのシングルの需要を満たすための流通リソースがなかったと後にコメントしています。翌1973年にはシングル「Ring Ring」がスウェーデンで1位を獲得し、同名タイトルのスタジオ・アルバムをリリース。またこの時期、スティーグが、何かの書類に彼らの名前を記入する際に、メンバー4人の頭文字を取り適当にイニシャルを並べて「ABBA」と書いたことをきっかけにグループ名が「ABBA(アバ)」となります。

1974年シングル「Waterloo(ウォータールー)」が世界中でヒットし、ビルボードホット100でも初エントリーにしてトップ10入りを果たします。以降立て続けにシングル、アルバムをリリースしていき、1976年「Dancing Queen(ダンシング・クイーン)」で遂に全米1位を獲得。その後もヒットを連発しますが、アグネッタとビョルン、ベニーとフリーダは後に離婚。グループは1983年、活動を停止し事実上解散となります。

1992年にはリバイバルブームが起き、同年リリースしたコンピレーション・アルバム「Gold: Greatest Hits(ゴールド:グレイテスト・ヒッツ)」が世界中で2800万枚以上の売り上げを記録し大ヒット。また、ABBAの代表曲を網羅したミュージカル「マンマ・ミーア!」は、ロンドンでの初演以来世界各地でロングラン公演を続け、2008年には映画化。2018年4月27日、約35年ぶりに新曲2曲を収録したことを公式サイトで発表しています。

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