NOT FOUND

バイオグラフィー

BIOGRAPHY

Mariah Carey /

BIRTHDAY / 1970/3/27 (54歳)

BORN / アメリカ合衆国、ニューヨーク州ハンティントン

OCCUPATION / シンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優

Mariah Carey
出典:Mariah Carey Gets Emotional During 2019 Billboard Music Awards Icon Acceptance Speech: Watch - Billboard

Mariah Carey(マライア・キャリー)のプロフィール

Mariah Carey(マライア・キャリー)はニューヨーク州ハンティントン出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優。

アイルランド系の元オペラ歌手兼ボーカルコーチである母パトリシア(旧姓ヒッキー)と、アフリカ系アメリカ人およびアフリカ系アメリカ人の血統の航空エンジニアである父アルフレッド・ロイ・キャリーの3番目で末っ子として生まれました。人種差別に耐えながら幼少期を過ごし、3歳のときに両親は離婚。姉のアリソンは父親と、マライアと兄のモーガンは母親と暮らすことになります。

ニューヨーク州グリーンローンのハーバーフィールズ高校に通いながら詩と歌詞を書き始め、母親の指導の下でボーカルトレーニングを始めます。デモ歌手としての仕事のために彼女は頻繁に欠席するようになり、クラスメートは彼女にミラージュというニックネームを付けました。1987年に卒業するとニューヨーク市に引っ越し、アルバイトをしながら美容学校に通いました。さらにマンハッタンの1ベッドルームのアパートに引っ越し、他の4人の女子学生と共同生活をしていました。ある時、プエルトリコのフリースタイルシンガー、Brenda K. Starr(ブレンダ・K・スター)のバックコーラスをすることになり、1988年12月、マライアはブレンダに同行してCBSレコードエグゼクティブのパーティーに参加し、そこでブレンダがデモテープをコロムビア・レコードのトップであるTommy Mottola(トミー・モトーラ)に手渡します。トミー・モトーラは帰宅中にテープを聞いた後、彼はすぐに運転手に向きを変えるように要求しました。マライアはすでにイベントを去っていて、現代のシンデレラの物語として説明されているように、彼は彼女を探して次の2週間を過ごしたそうです。

その間に別のレコードレーベルが関心を示し、入札戦争が続きましたが、マライアはコロムビアと署名し、トミー・モトーラはトップ・プロデューサーのRic Wake(リック・ウェイク)、Narada Michael Walden(ナラダ・マイケル・ウォルデン)、Rhett Lawrence(レット・ローレンス)の才能を集めました。コロンビアはマライアを彼らの名簿の主要な女性アーティストとして売り込み、別レーベルのWhitney Houston(ホイットニー・ヒューストン)やMadonna(マドンナ)と競争させるため、デビュー・スタジオ・アルバム「Mariah Carey(マライア・キャリー)」の宣伝に100万ドル以上を費やしました。

リリース後はスロースタートではありましたが、最終的に全米ビルボード200で11週連続1位となる大ヒット。1991年に米国で最も売れたアルバムとなり、世界で1,500万枚の売り上げを達成。第33回グラミー賞では最優秀新人賞を受賞し、シングル「Vision of Love(ヴィジョン・オブ・ラヴ)」で最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞しました。

同年2枚目のスタジオ・アルバムからの同名リードシングル「Emotions(エモーションズ)」をリリースし全米ビルボードホット100ではデビュー曲から5曲連続で1位を獲得するという史上初の快挙を成し遂げます。しかしアルバムは絶賛されたものの、計算されつくした構成で独創性に欠けていると批判されることもあり、最終的には全世界で800万枚を売り上げるも前作を下回る結果となります。この流れを受けてワールドツアーを行わない方針を決めると作られた音域なのではないかと憶測が高まりました。この流れを鎮めるために1992年、MTVアンプラグドに出演。Jackson 5(ジャクソン5)のヒット曲「I’ll Be There」をカバーしシングルとしてもリリースすると大ヒットを記録。この成功を受けて出演した音源をライヴ・アルバムとしてリリースしこちらも大ヒットとなりました。

1993年、3枚目のスタジオ・アルバム「Music Box(ミュージック・ボックス)」をリリースし、初めてプロモーションのための6日間のツアーを行います。シングル「Hero」や「Without You」がヒットしアルバムは史上最も売れたアルバムのひとつとなり、世界で2800万枚以上の売り上げを記録しました。この最中、トミー・モトーラと結婚しています。

1994年、クリスマス・アルバムの計画を行い、真夏にスタジオを涼しくしながらクリスマスの雰囲気を作り上げ、「Merry Christmas(メリークリスマス)」を製作。シングル「All I Want for Christmas Is You(恋人たちのクリスマス)」が日本のテレビドラマ「29才のクリスマス」の主題歌に起用され、オリコンシングルチャートで2位を記録し、130万枚の大ヒットとなりましたが、当時アメリカではシングルとしてリリースされていませんでした。しかし「Merry Christmas(メリークリスマス)」は世界的に大成功を収め、世界で1500万枚以上の売り上げを記録しました。

翌1995年にリリースされた4枚目のスタジオ・アルバム「Daydream」はこれまでのポップス要素からR&Bとヒップホップに大きく引き寄せられた作品となり、リードシングル「Fantasy」はビルボードホット100で女性では史上初となる初登場1位を記録。続くシングル「One Sweet Day(ワン・スウィート・デイ)」はBoyz II Men(ボーイズIIメン)とのデュエットで、ビルボードホット100で16週連続1位を獲得し当時歴代1位となる最長記録となりました。

その後はR&Bとヒップホップをより積極的に取り入れるようになり、1990年のデビューから1997年までの7年間、プロデューサー、ソングライターとして参加していたWalter Afanasieff(ウォルター・アファナシェフ)以外のプロデューサーたちとコラボレーションするようになります。この進化を前向きにとらえる批評家も多くいましたが、アルバム「Butterfly(バタフライ)」のセールスは落ち込み、トミー・モトーラとは離婚。離婚直前まで彼女はMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)に悩みを打ち明けて聞いてもらっていました。

1998年には映画出演による女優デビューのためのプロジェクトが始まり、他の映画の曲の製作なども行っていましたがうまくいかず全て延期。コンピレーション・アルバム「#1」をリリースします。その後ソニーとの契約を履行するために残されたアルバムは1枚だけであり、元夫がまだ率いるレコードレーベルからプロとしての自分を切り離したいという強い願望を持って、1999年半ばに3か月でアルバム「Rainbow(レインボー)」を完成させると、ソニー・ミュージックを離れEMI傘下のヴァージン・レコードに移籍。100億円以上の契約金も話題となりましたが、2001年にはようやく完成した映画「グリッター きらめきの向こうに」が公開されるも失敗に終わり、サウンドトラック・アルバムとしてリリースした「Glitter(グリッター)」も低調なセールスに終わったため、結局EMIからはこの1作だけで契約を打ち切られることになります。

その後はアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループと契約し2002年に9枚目のスタジオ・アルバム「Charmbracelet(チャームブレスレット)」をリリース。しかしボーカルの質の低下などが酷評され低水準なセールスとなってしまいます。しかし2005年、シングル「It’s Like That(イッツ・ライク・ザット)」がソロでは4年ぶりにビルボードホット100のトップ20入りとなる16位を記録。続くシングル「We Belong Together(ウィー・ビロング・トゥゲザー)」が5年ぶりとなる全米1位を獲得し大ヒットとなります。この勢いを受けて10枚目となる「The Emancipation of Mimi(ミミ)」では全盛期並みの高音が復活したと絶賛され、7作目となる1000万枚超えを果たす大ヒットとなりました。

その後も高いセールスを維持しながら「E=MC²」「Memoirs of an Imperfect Angel」「Merry Christmas II You」などヒットが続き、2008年には俳優兼ラッパーのNick Cannon(ニック・キャノン)と結婚、2011年には男女の双子を出産。しばらく仕事と子育てを続けながら2014年に久しぶりのスタジオ・アルバム「Me. I Am Mariah… The Elusive Chanteuse」をリリース。しかし別居が報じられ2015年に離婚。

この間、シングル「All I Want for Christmas Is You(恋人たちのクリスマス)」がビルボードホット100のルール改定を繰り返し2013年に29位まで上昇。以降毎年クリスマスシーズンになるとランクインするようになり、2017年に初めてトップ10入り。2019年にリリースから25年を経て全米1位を獲得しています。

WRITER

洋楽まっぷ編集部

洋楽まっぷ編集部が70年代から最新の洋楽までヒット曲、また幅広いジャンルから厳選した情報をお届け致します。

ニュースの人気記事