Missy Elliott(ミッシー・エリオット)のプロフィール
Missy Elliott(ミッシー・エリオット)はバージニア州ポーツマス出身のラッパー、シンガー、ソングライター、レコードプロデューサー、ダンサー、慈善家。
4歳のときにはパフォーマーに夢を抱くようになり、勉強には興味を示しませんでしたが友情のために学校を楽しでいました。一方で知能テストで平均をはるかに上回り、2年進みましたが孤立してしまったため元のクラスに戻ったこともあったようです。また父親の家庭内暴力によって生活には多くの困難があり、14歳のとき、母がこの状況を終わらせることを決め、地元のバスに乗るという口実で娘と逃げました。
その後はバージニア州ポーツマスのホッジスフェリーに住み、1990年にバージニア州ポーツマスのウッドロー・ウィルソン高校を卒業しています。その間、友人と共に、Fayze(フェイズ)と呼ばれる女性のみのR&Bグループを結成し、近所の友人でもあったTimbaland(ティンバランド)にグループのプロデューサーをお願いしてデモトラックを制作しています。
高校卒業後、1991年にニューヨークに移り、DeVante Swing(デヴァンテ・スウィング)のレーベルを通じてエレクトラ・レコードと契約し、グループ名をSista(シスタ)に改名。1993年にシングル「Brand New(ブランド・ニュー)」でデビューします。そのままデビューアルバムの制作を行いますが、結局リリースはできずに1995年レーベルは解散。その後はTimbaland(ティンバランド)とソングライティング/プロダクションチームとして協力し合い、Aaliyah(アリーヤ)の楽曲をプロデュースすると多くの曲がヒットしたため、しばらく制作業に専念します。
1996年にEast West Recordsと独自のインプリントであるThe Goldmind Inc.を設立する契約を結び、ソロアーティストとしてレコーディングしていました。Timbaland(ティンバランド)は再びプロダクションパートナーとして採用され、多くのソロリリースで彼はその役割を果たし、1997年にはデビューアルバム「Supa Dupa Fly(スパ・デュパ・フライ)」をリリース。全米3位を獲得し、120万枚以上を売り上げるヒットとなります。1999年リリースの2ndアルバム「Da Real World(ダ・リアル・ワールド)」は世界的にも成功し、600万枚のセールスを記録し、シングル「Hot Boyz(ホット・ボーイズ)」は全米5位を記録し初めてプラチナ認定を受けます。
2002年には映画「ムーラン・ルージュ」で使用されたシングル「Lady Marmalade(レディ・マーマレード)」のプロデュースを担当し、これが大ヒット。同年自身のシングル「Work It(ワーク・イット)」は全米で自身最高となる2位にランクインするヒットとなり、その年にリリースされた4枚目のアルバム「Under Construction(アンダー・コンストラクション)」は200万枚以上のセールスとなり、アメリカでは自身最大のヒットアルバムとなりました。
2005年にはシングル「Lose Control(ルーズ・コントロール)」がダブルプラチナを獲得し、全米では自身最大のヒットを記録しました。この曲が収録されている「The Cookbook(ザ・クックブック)」以降アルバムのリリースを行っておらず、当初は2008年に7枚目のアルバムリリースを計画していたようですが延期となってしまい、シングルはリリースされるもののアルバムリリースには至っていません。しかしプロデュース業は継続して行われており、多くの曲をヒットさせてはグラミー賞にノミネートされています。
翌2006年、コンピレーション・アルバム「Respect M.E.(リスペクトM.E.)」をリリース。全英チャートでは2枚目となるトップ10入りを果たしました。以降アルバム制作を行いながらもソングライターとして成功するようになり、7枚目のアルバムのレコーディングの間に、Keyshia Cole(キーシャ・コール)とのシングル「Let It Go(レット・イット・ゴー)」、2008年にはJazmine Sullivan(ジャズミン・サリヴァン)の「Need U Bad(ニード・ユー・バッド)」が商業的な成功を果たしています。
2010年にはヨーロッパ、アジア、アフリカ、オーストラリアに立ち寄る2部構成のツアーに乗り出し、コンスタントにゲスト出演という形でシングルに参加しました。2015年にはKaty Perry(ケイティ・ペリー)と一緒にスーパーボウルXLIXハーフタイムショーに出演。数曲のパフォーマンスを行いました。このパフォーマンスは好評を博し、その週の作品のデジタル販売を押し上げ、アルバムの販売は前週比で25倍(2,000ユニット)、3つのアルバムの販売は10倍に増加しました。また、NFL史上最も視聴されたスーパーボウルハーフタイムショーとなり、米国で1億1850万人の視聴者を獲得しました。
2019年にはソングライターの殿堂入りを果たし、この栄誉を受けた最初の女性ラッパーになりました。またバークリー音楽大学から名誉博士号を取得し、マイケル・ジャクソン・ビデオ・ヴァンガード賞を受賞した最初の女性ラッパーとなりました。またこの年は初のEP「Iconology(アイコノロジー)」をリリースしています。