アデル

Adele(アデル)のプロフィール、歌詞一覧、アルバム・シングルを網羅したディスコグラフィーをご紹介。最新の洋楽はここからチェック。

プロフィール

Adele
Photo Credit Simon Emmett
  • BORN
    イングランド ロンドン
  • SNS
  • BIRTHDAY
    1988/5/5 (37歳)

  • OCCUPATION
    シンガー、ソングライター

Adele(アデル)は、ロンドン出身のシンガー、ソングライター。本名はAdele Laurie Blue Adkins(アデル・ローリー・ブルー・アドキンス)。

世界で最も売れている音楽アーティストの一人であり、世界中で1億2000万枚以上のレコードを売り上げている。イギリスでは21世紀で最も売れた女性アーティストであり、アメリカでは2010年代で最も売れたアーティストに選ばれた。

生い立ち

1988年5月5日、ロンドンのトッテナムで、イギリス人の母Penny Adkins(ペニー・アドキンス)とウェールズ人の父Marc Evans(マーク・エヴァンス)の間に生まれた。父親はアデルが2歳の時に家を出て行った後、彼女は母親に育てられた。

4歳で歌い始め、歌声に取り憑かれたと語っている。1997年、当時9歳だったアデルと、当時家具職人と成人学習活動のオーガナイザーとして仕事を見つけていた母親は、イングランド南海岸のブライトンに移住した。

1999年、アデルと母親はロンドンに戻り、最初はブリクストンに、その後、彼女のデビュー曲「Hometown Glory」のテーマとなっている、南ロンドンの隣接する地区ウェスト・ノーウッドに移った。アデルは青春時代の多くをブロックウェル・パークで過ごし、そこでギターを弾き、友人たちに歌を歌っていた。

2006年5月にクロイドンのブリット・スクール・フォー・パフォーミング・アーツ&テクノロジーを卒業。そこでは同級生にLeona Lewis(レオナ・ルイス)やJessie J(ジェシー・J)がいた。アデルは当時、アーティストやレパートリー(A&R)に興味があり、他の人のキャリアをスタートさせたいと考えていたが、それでも自分の才能を育んでくれたのは学校だと考えている。

キャリアの始まり

2006年、当時17歳だった彼女は、無名テクノDJのRicstaのシングルにフィーチャリング・ボーカリストとして参加した。この曲「Be Divine」は、無名のレーベルStirfried Traxからリリースされ、アデル名義での初リリースとなった。今ではほとんど忘れ去られているが、「エレクトロニック・クラブ向き」の曲と評されていた。

卒業後、授業プロジェクトのために3曲のデモを録音し、友人に渡していた。その友人がそのデモをMyspaceに投稿したところ大ヒットとなり、音楽レーベルXLレコーディングスのディレクター、Richard Russell(リチャード・ラッセル)から電話がかかってきた。彼女はオファーが本当に本当に実現するかどうか疑問に思い、友人をミーティングに連れて行った。

XLのNick Huggett(ニック・ハゲット)は、アデルをセプテンバー・マネジメントのマネージャー、Jonathan Dickins(ジョナサン・ディキンス)に推薦し、2006年6月、ディキンスは彼女の正式な代理人となった。セプテンバーは当時Jamie T(ジェイミー・T)のマネージャーを務めており、このイギリス人シンガーソングライターの大ファンだったアデルにとって、これは大きな魅力となった。そして、ニック・ハゲットは2006年9月にアデルをXLと契約させた。

アデルはJack Peñate(ジャック・ペニャーテ)のデビュー・アルバムに収録された「My Yvonne」でボーカルを務め、このセッションでプロデューサーのJim Abbiss(ジム・アビス)と初めて出会った。ジムは後に彼女のデビュー・アルバム『19』の大部分と『21』のトラックをプロデュースすることになる。

2007年6月、アデルはBBCの『Later... with Jools Holland』で「Daydreamer」を披露し、テレビデビューを果たした。10月にはデビュー・シングル「Hometown Glory」をジェイミー・Tのレーベル、Pacemaker Recordingsから500枚限定でリリースされた。当時16歳で、母親にロンドン郊外のウェスト・ノーウッドという故郷を離れて大学に進学するよう説得された後、わずか10分で書いた曲で、アデルが初めて作曲した曲となる。当初チャート入りしなかったが、アルバム『19』のリリース週に多くのダウンロードがあったため、全英シングルチャートのトップ40に初めてランクインした。

デビュー後のキャリア

2008年までにアデルはヘッドライナーとなり、ダミアン・ライスのサポートを受けながらアコースティック・セットを披露した。彼女はブリット・アワードの批評家賞を初受賞し、BBCが毎年開催する音楽評論家投票「Sound of 2008」では、2008年のブレイク予想アーティスト第1位に選ばれた。

デビュー・アルバム発売の2週間前、2008年1月14日にセカンドシングル「Chasing Pavements」をリリースした。この曲は全英チャートで2位に達し、4週間その座を維持した。アルバム『19』(当時の彼女の年齢にちなんで名付けられた)は、収録曲の多くを作詞作曲し、全英チャートで1位を獲得した。

アデルは『19』で2008年のマーキュリー賞にノミネートされた。また、アーバン・ミュージック・アワードの「最優秀ジャズ・アクト」賞を受賞し、ミュージック・オブ・ブラック・オリジン(MOBO)の最優秀UK女性アーティスト部門にノミネートされた。

同年3月、アデルは米国進出のため、コロムビア・レコードおよびXLレコーディングスと契約。すぐに短期間の北米ツアーに乗り出し、6月には『19』が米国で発売された。アデルはその後、元恋人と過ごすため、2008年のアメリカツアーの日程をキャンセル。この影響もあり2008年10月中旬までに、アデルのアメリカでのブレイクの試みは失敗したかに見えたが、NBC『サタデー・ナイト・ライヴ』の2008年10月18日のエピソードに音楽ゲストとして出演した。

このエピソードには、当時アメリカ副大統領候補だったサラ・ペイリンの出演も予定されていたことから、番組は14年間で最高の視聴率となる1700万人の視聴者を獲得した。番組では「Chasing Pavements」、「Cold Shoulder」の2曲を披露し、翌日にはiTunesチャートで1位を獲得、Amazon.comでは5位にランクイン。「Chasing Pavements」はトップ25入りを果たした。この結果、アルバムはビルボード200で11位に達し、前週より35位上昇した。

2008年11月、アデルは母親の家を出てロンドンのノッティングヒルに引っ越したが、この引っ越しをきっかけに禁酒を決意した。このアルバムは2009年初頭にRIAAからゴールドディスクに認定。2009年7月までに、アルバムは世界中で220万枚を売り上げた。第51回グラミー賞で、アデルは最優秀新人賞に加え、「Chasing Pavements」で最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞も受賞した。この曲は最優秀レコード賞と最優秀楽曲賞にもノミネートされた。

2011年1月24日にイギリスで、2月22日にアメリカでセカンド・スタジオ・アルバム『21』をリリース。彼女はこのアルバムは元パートナーとの破局にインスピレーションを得たものだと語っている。クラシックでありながら現代的なカントリーとルーツ・ミュージックとなっており、このサウンドの変化は、彼女がアメリカ南部をツアーしていた際に、バスの運転手がナッシュビルの現代音楽を流していたことがきっかけで、タイトルはそれ以前の2年間の彼女の成長を反映したものだった。

『21』はイギリスとアメリカを含む30カ国でチャートのトップを飾った。2月15日に開催された第31回ブリット・アワードでのアデルの「Someone Like You」のパフォーマンスは、この曲をイギリスでチャートの1位に押し上げ、『19』は『21』と共にイギリスのアルバムチャートに再ランクイン。また「Rolling in the Deep」と「Someone Like You」はイギリスのシングルチャートのトップ5にランクインした。これによりアデルは、1964年のThe Beatles(ビートルズ)以来、全英シングルチャートと全英アルバムチャートの両方で同時にトップ5ヒットを2曲も達成した初の存命アーティストとなった。

両曲は複数の市場でチャートのトップを飾り、数々の売上記録を破った。「Rolling in the Deep」はビルボードホット100で7週連続1位、世界中で2,060万枚以上を売り上げ、史上最も売れたデジタルシングルの1つとなった。『21』はイギリスで340万枚以上を売り上げ、21世紀で最も売れたアルバムとなり、イギリスで1年間に300万枚のアルバムを売り上げた初のアーティストとなった。

アデルはアルバムのプロモーションのため「アデル・ライブ」ツアーに乗り出し、北米公演は完売。しかし2011年10月、アデルは声帯出血のため2つのツアーをキャンセルせざるを得なくなった。彼女は声明を発表し、声への永久的なダメージを避けるため、長期間の休養が必要だと述べた。翌月、ボストンのマサチューセッツ総合病院喉頭手術・音声リハビリテーションセンター所長のスティーブン・M・ザイテルズ氏は、アデルの声帯にレーザー顕微手術を施し、良性ポリープを除去。

同時期、ツアーの模様を収録した『Live at the Royal Albert Hall』がリリースされ、全米チャートで初登場1位を獲得、9万6000枚を売り上げた。これは音楽DVDの週間売上としては過去4年間で最高記録であり、2011年の音楽DVDのベストセラーとなった。アデルは、ニールセン・サウンドスキャンの歴史上、年間アルバム1位(『21』)、シングル1位(「Rolling in the Deep」)、ミュージックビデオ1位(『Live at the Royal Albert Hall』)を獲得した初のアーティストとなった。

喉のマイクロ手術後、アデルは2月に2012年のグラミー賞でライブ復帰を果たした。彼女は年間最優秀アルバム賞、年間最優秀レコード賞、年間最優秀楽曲賞を含むノミネートされた6部門すべてで受賞し、Beyoncé(ビヨンセ)に次いでグラミー賞史上2人目の女性アーティストとして一夜にしてこれほど多くの賞を受賞した。

この成功に続き、『21』はニールセン・サウンドスキャンが1991年にデータを追跡し始めて以来、グラミー賞受賞後に最大の週間売上増加を記録した。アデルはブリット・アワードの英国女性ソロ・アーティスト賞と、英国最優秀アルバム賞を受賞した。ブリット・アワードの後、アルバム『21』は英国で21週連続で1位を獲得した。このアルバムは英国で450万枚以上を売り上げ、同国で4番目に売れたアルバムとなっている。10月には、アルバムの売上がイギリスで450万枚を超え、11月にはアメリカで1000万枚を突破した。2011年と2012年に世界で最も売れたアルバムとなったこのアルバムは、2016年の時点で3,100万枚以上を売り上げている。2014年末までに、彼女のアルバムは世界中で推定4,000万枚、シングルは5,000万枚を売り上げた。アデルは、過去10年間でアメリカで2年以内に1枚組アルバムでRIAA(米国レコード協会)でダイヤモンド認定を獲得した唯一のアーティストまたはバンドとなった。

また同年、『007 スカイフォール』の主題歌「Skyfall」をリリース。全英シングルチャートで2位にランクインし、累計売上枚数を176,000枚とした。ビルボードホット100では8位にランクインし、発売後3日間で261,000枚を売り上げた。これにより、「スカイフォール」はDuran Duran(デュラン・デュラン)の「A View to a Kill」と並び、全英シングルチャートでジェームズ・ボンドのテーマ曲として当時の最高位を獲得した。最終的には世界中で500万枚以上を売り上げ、アデルはゴールデングローブ賞の最優秀オリジナル楽曲賞とアカデミー賞の最優秀オリジナル楽曲賞を受賞した。

同時期に息子が誕生しており、産後うつ病、不安障害、パニック発作に苦しんでいることを公表している。2年ほど活動休止状態だったアデルは、2015年10月、3枚目のスタジオ・アルバムからの先行曲「Hello」をリリース。この曲は10月23日朝、BBCのニック・グリムショーラジオ1の朝の番組で初めて放送され、アデルが生インタビューを受けた。

ミュージック・ビデオは、YouTubeで最初の24時間で2,770万回以上再生され、Vevoの1日あたりの再生回数の当時の最高記録を更新した。BBCニュースは、「Hello」がYouTubeで1時間平均100万回再生されていると報じ、YouTubeで10億回再生を最速で達成したビデオとなり、88日で達成した。全英シングルチャートで初登場1位を獲得し、初週売上は33万枚で、3年間で最も売れたナンバーワンシングルとなった。オーストラリア、フランス、カナダ、ニュージーランド、アイルランド、ドイツなど世界各国で初登場1位を獲得し、11月2日にはビルボードホット100で初登場1位を獲得、アメリカで1週間で100万ダウンロード以上を記録した初の曲となり、111万ダウンロードという記録を樹立した。2015年末までに世界で1,230万枚を売り上げ、10月下旬に発売されたにもかかわらず、年間7番目に売れたシングルとなった。

同年11月にリリースされたアルバム『25』は全英アルバムチャートで初登場1位を獲得し、初週で80万枚以上を売り上げ、全英チャート史上最速の売り上げを記録した。ビルボード200でも初登場1位を獲得し、初週で338万枚という記録的な売り上げを記録した。これは、ニールセンが1991年に売上の調査を開始して以来、アルバムの単一週売上枚数としては最大の記録である。その他カナダとニュージーランドでも初週売上記録を破り、オーストラリア、英国、米国を含む多くの国で2015年のベストセラーアルバムとなり、各国で7週間連続1位を獲得した。最終的には世界中で2,000万枚を売り上げた。アデルは全英アルバムチャートで7週間トップに立ったことで、3枚のアルバムで合計31週間全英1位となり、女性アーティストとしてマドンナが保持していた最長1位記録を上回った。2015年に世界で最も売れたアーティストとして、IFPIはアデルをグローバル・レコーディング・アーティスト・オブ・ザ・イヤーに選出した。

第59回グラミー賞では主要3部門を含む5部門にノミネートされすべて受賞。最優秀アルバム賞ではビヨンセの『Lemonade』もノミネートされており、アデルは自身が受賞するとは思ってなかったようでスピーチではビヨンセへの賛辞を捧げ、受賞トロフィーを分けようとして壊してしまうハプニングも話題となった。

2017年2月と3月には、ワールドツアーの一環として、アデルは初めてオーストラリアで公演を行い、各地の野外スタジアムで演奏した。6月28日と29日にロンドンのウェンブリー・スタジアムで『The Finale』と題された2つのコンサートを開催し、ワールド・ツアーを締めくくった。

2018年頃より次のスタジオ・アルバムに関する話題が出るが、2020年2月15日、友人の結婚式で、4枚目のスタジオ・アルバム『30』が2020年9月までにリリースされることを発表。しかし後に彼女は、アルバムの制作とリリースがCOVID-19パンデミックの影響で延期されたことを認めている。

2021年10月1日、世界中のさまざまな都市の重要なランドマークや建物に「30」という数字の投影や看板が現れ、アデルの犯行ではないか、そして『30』が彼女の4枚目のアルバムのタイトルになるのではないかという憶測が高まると、その2週間後、先行曲「Easy on Me」がリリース。当時のSpotifyとAmazon Musicの1日あたりの1曲の最多ストリーミング記録を更新し、ビルボードホット100、全英シングルチャートなどで1位を獲得した。

『30』は翌11月にリリースされると24カ国で1位を獲得。英国では2021年に最も売れたアルバムとなった。発売から2カ月でCD・レコードを含むフィジカルセールスが550万枚を突破。第42回ブリット・アワードでブリティッシュ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞し、アデルは同賞を3回受賞した史上初のソロアーティストとなった。

2022年1月から4月にかけてシーザーズ・パレスのコロッセオでラスベガスのレジデンシー『Weekends with Adele』を開催すると発表するも、「納期の遅れ」と新型コロナウイルス感染症のパンデミックのため、レジデンシーが延期。後に2022年11月18日から2023年3月25日まで行われ、当初の予定より8日程増え、合計32回のコンサートが行われることが発表。さらに大晦日の週末に2つの追加公演を発表し、公演総数は34公演となった。

2023年2月に行われた第65回グラミー賞では「Easy on Me」が最優秀ポップ・ソロ・パフォーマンス賞を受賞。3月25日のレジデンシー最後のコンサートになるはずだった公演で、さらに32公演が追加された。翌2024年7月16日、アデルはインタビューで、レジデンシー公演終了後、無期限の音楽活動休止を表明し、その時点ではニューアルバムのリリース予定はないと明かした。