パニック!アット・ザ・ディスコ

Panic! at the Disco(パニック!アット・ザ・ディスコ)のプロフィール、歌詞一覧、アルバム・シングルを網羅したディスコグラフィーをご紹介。最新の洋楽はここからチェック。

プロフィール

Panic! at the Disco
Photo Credit Alex Stoddard
  • BORN
    ネバダ州ラスベガス
  • SNS
  • MEMBERS
    Ryan Ross, Spencer Smith, Brent Wilson, Brendon Urie, Jon Walker, Dallon Weekes (Past members)
  • YEARS ACTIVE
    2004–2023, 2025

Panic! at the Disco(パニック!アット・ザ・ディスコ)は、2004年にネバダ州ラスベガスで高校時代の友人だったRyan Ross(ライアン・ロス)とSpencer Smith(スペンサー・スミス)によって結成されたアメリカのポップ・ロック・バンド。幾度かのメンバーチェンジを経て、2015年から2023年の解散までは、フロントマンのBrendon Urie(ブレンドン・ユーリー)のソロプロジェクトとして活動していた。

結成

パニック!アット・ザ・ディスコは、2004年にネバダ州ラスベガス郊外のサマリンで結成された。中心となったのはギタリストのライアン・ロスとドラマーのスペンサー・スミスで、2人はビショップ・ゴーマン高校に通っていた。高校9年生の頃から共に音楽活動を始め、のちにパロ・ヴェルデ高校のベーシスト、Brent Wilson(ブレント・ウィルソン)を加え、さらにその友人だったブレンドン・ユーリーを誘い4人編成となった。初期の練習はスミスの祖母の家のリビングで行われた。

当初、ボーカルはロスだったが、リハーサルでユーリーの歌声を聴き、リードボーカルを交代することになった。バンドはもともとBlink-182(ブリンク182)のコピーを演奏していた。バンド名はName Taken(ネーム・テイクン)の2004年の楽曲「Panic」の歌詞から取られている。

当時のラスベガスの音楽シーンはヘヴィなサウンドが主流だったが、彼らはより軽く親しみやすい音楽性を目指した。ライヴ経験がないままレーベル契約を獲得し、ユーリーは練習場代を稼ぐため地元のスムージーショップで働きながら歌ってチップを得ていた。4人は学業を捨てて音楽に専念し、ロスは大学中退で父親と衝突、ユーリーも高校中退で家を追い出されている。

ロスとユーリーはデモ音源をFall Out Boy(フォール・アウト・ボーイ)のベーシスト、Pete Wentz(ピート・ウェンツ)にLiveJournal経由で送った。ロサンゼルスにいたウェンツはわざわざラスベガスまで足を運び、2~3曲を聴いて契約を即決。フュエルド・バイ・ラーメンの傘下である自身の新レーベル、ディケイダンス・レコード(現DCD2レコード)に初の所属バンドとして迎え入れた。2004年12月頃に正式契約が結ばれる。

当時ライヴ未経験のバンドが契約したことで、ネット上では批判も起きた。しかしウェンツはバンドを積極的に宣伝し、2005年のMTVビデオ・ミュージック・アワード前日の取材で「彼らのアルバムはあなたの次のお気に入りになる」と大々的に紹介している。当時、メンバーは全員が高校生(ロスのみ大学を中退)で、ユーリーは2005年5月に卒業。ウィルソンとスミスはオンラインで学業を終え、メリーランド州カレッジパークへ渡り、デビュー・アルバム『A Fever You Can't Sweat Out』のレコーディングに入った。

デビュー

パニック!アット・ザ・ディスコは2005年6月から9月にかけてメリーランド州カレッジパークに移り、デビュー・アルバムのレコーディングを行った。到着時点では曲の原型しかなかったが、約5週間、休みなしで1日12~14時間の制作を重ね、アルバムを完成させた。4人は1LDKに共同生活し、制作とストレスで衝突することも多かったという。

アルバムは2部構成で、前半はエレクトロニック・ダンスパンク、後半はバウドビル調のピアノやストリングス、アコーディオンなどを取り入れた構成になっている。ドラムマシンとキーボードだけで作ることに飽きたバンドは、映画音楽(特にDanny Elfman(ダニー・エルフマン)やJon Brion(ジョン・ブライオン)の作品)に影響を受け、異なる音楽性を後半に取り入れた。完成後、バンドは2週間でライヴ・バンドとしての練習を積み、地元ラスベガスのジ・アレイで初ライヴを開催。その後、フォール・アウト・ボーイらと共に『Nintendo Fusion Tour』に参加し、全米ツアーに乗り出した。

アルバム『A Fever You Can't Sweat Out』は2005年9月27日にリリース。初週売上は約1万枚で、米ビルボード200では112位スタートだった。しかし、4カ月後にリリースしたシングル「I Write Sins Not Tragedies」がヒットし、セールスは急上昇。2006年3月にはヘッドライナー・ツアーを発表し、8月にはRIAA認定でプラチナディスクとなった。同年のMTVビデオ・ミュージック・アワードでは「I Write Sins Not Tragedies」のミュージック・ビデオが年間最優秀ビデオ賞を受賞し、バンドは一躍スターとなった。

デビュー後のキャリア

2006年5月、オリジナルメンバーのベーシスト、ブレント・ウィルソンが脱退を発表。公式声明では理由は明かされず、のちにウィルソンは「電話一本で解雇された」と主張。これに対し、ドラマーのスペンサー・スミスは「責任感の欠如と演奏力の伸び悩みが原因」と反論し、実際にアルバムのベースはユーリーが演奏していたと明かした。ウィルソンは印税を求め、訴訟もちらつかせた。後任にはJon Walker(ジョン・ウォーカー)が加入した。

バンドはその後、1月~5月にThe Academy Is...(ジ・アカデミー・イズ)のワールド・ツアーに帯同し、6月からは初の全国ヘッドライナー・ツアーを実施。8月のレディング・フェスティバルでは観客からのボトル投げでブレンドン・ユーリーが顔に当たり、一時失神するアクシデントもあったが、復帰して演奏を続けた。

11月には2回目のヘッドライナー・ツアー『Nothing Rhymes with Circus Tour』を開始。このツアーではダンス、寸劇、曲にあわせたパフォーマンスなどを取り入れた大規模な演出を展開。サーカス的な世界観と派手な衣装が特徴で、MTV NewsはJanet Jackson(ジャネット・ジャクソン)の『Velvet Rope Tour』にもなぞらえた。この頃、デビューからわずか1年でアリーナ級のヘッドライナーに成長し、バンドは冬の間に次回作の構想を練るための休養に入った。

2007年3月、パニック!アット・ザ・ディスコは次のアルバム制作のため、ネバダ州マウント・チャールストンの山間部にあるキャビンにこもり、楽曲作りを開始した。仮タイトルは『Cricket & Clover』で、「Scarlet」や「It's True Love」といった楽曲も書かれたほか、「Nearly Witches」は後に2011年の『Vices & Virtues』に収録された。しかし、メンバーはこれらの楽曲に満足できず、8月には制作をほぼ完了していたアルバムをすべて破棄し、方向性を一新することを決断した。

今度はよりシンプルなアプローチを重視し、アコースティック・ギターと歌のみで楽曲を作る方法に切り替えた。ロスはこの時期について「バンドを始めて以来、一番楽しく幸福だった」と語っている。その後ラスベガスに戻り、10月にスタジオ・アット・ザ・パームスで新作のレコーディングを開始。これがのちに『Pretty. Odd.』となる。

2008年1月、バンドはロゴを刷新し、グループ名から感嘆符を外して「Panic at the Disco」と名乗るようになった。3月21日にリリースされた『Pretty. Odd.』は、前作『A Fever You Can't Sweat Out』より有機的で穏やかな作品と評され、意図せずThe Beatles(ビートルズ)に似た作風になったとされる。初日の売上は5.4万枚、初週売上は13.9万枚で、ビルボード200で2位を記録。デジタルアルバムの売上比率は26%に達し、前作の記録を上回った。英国ではゴールド認定を受けたが、前作ほどの商業的成功には至らなかった。一方で批評面では高く評価され、音楽誌Spinは前作を「恥ずかしい」と酷評したのに対し、『Pretty. Odd.』については「楽観的な美しさに挑戦した」と称賛した。

バンドは同年4月から7月にかけて『Honda Civic Tour』のヘッドライナーを務め、Motion City Soundtrack(モーション・シティ・サウンドトラック)、The Hush Sound(ザ・ハッシュ・サウンド)、Phantom Planet(ファントム・プラネット)がオープニング・アクトとして参加した。さらに10~11月にはDashboard Confessional(ダッシュボード・コンフェッショナル)らとともに『Rock Band Live Tour』に参加し、Rock Band 2のプロモーションを行った。

ツアー演出も大きく方向転換され、前作のサーカス的な雰囲気から一転し、森をモチーフにした自然的なステージセットを採用。マイクスタンドには花やライトが巻きつけられ、メンバーはベストを着用した。ユーリーは「前回の派手な演出も楽しかったが、今回はより観客と近い距離感を重視した」と語り、ロスも「スクリプト化せず、毎夜違うことが起こるのが楽しい」と説明している。ツアーの模様はライブ盤『...Live in Chicago』とDVDとしてもリリースされ、舞台裏映像や短編映像『Panic! at the Disco In: American Valley』、ドキュメンタリー『All in a Day's』も収録された。

さらにこのツアーは環境への配慮も特徴で、NPO団体ReverbとGlobal Inheritanceと連携し、バイオディーゼル燃料のツアーバスや再利用素材の活用、リサイクルを推進。パンフレットも再生紙と大豆インクを使用し、収益の一部を環境団体に寄付する「エコ・コンテスト」も行った。

2009年春、3枚目のアルバム制作に着手した。しかし同年7月6日、ライアン・ロスとジョン・ウォーカーが公式サイトで脱退を発表。ロスは後のインタビューで、「スミスと昼食をとったときに“お互い別々にやった方がいい”と話し合い、争いもなく円満に決まった」と語っている。脱退の理由は主に音楽性の違いで、ユーリーはよりポップで洗練された方向性を望み、一方ロスとウォーカーはレトロなロックを志向していた。2人はその後The Young Veins(ザ・ヤング・ヴェインズ)を結成し、アルバム『Take a Vacation!』をリリースした。

ツアーおよびアルバム制作は予定どおり続行され、8月のブリンク182のツアーにも参加。脱退直後、バンドは新曲「New Perspective」を発表し、映画『ジェニファーズ・ボディ』のサウンドトラックにも収録された。さらにこのタイミングでグループ名に再び感嘆符を戻し、「Panic! at the Disco」となった。ツアーではThe Cab(ザ・キャブ)出身のギタリスト、Ian Crawford(イアン・クロフォード)と、The Brobecks(ザ・ブロベックス)のDallon Weekes(ダロン・ウィークス)がサポートメンバーとして加わった。

2010年初頭、バンドはスタジオに戻り3rdアルバムの制作を本格化。ツアー中にベーシストを務めたウィークスが正式メンバーとして加入し、バンドは3人体制となった。彼はアルバムのアートワークのコンセプトにも関わり、ジャケットにも仮面姿で登場している。2011年1月、アルバムタイトルが『Vices & Virtues』と発表され、3月22日にリリースされた。プロデュースはButch Walker(ブッチ・ウォーカー)とJohn Feldmann(ジョン・フェルドマン)。先行シングル「The Ballad of Mona Lisa」は2月にリリースされ、批評面でも概ね好意的な評価を受けた。

同年2月からアルバムのサポート・ツアー『Vices & Virtues Tour』を開始。ステージ演出は初期の「Fever」期を思わせる派手な劇場型のもので、ユーリーは「コスチュームやメイクが恋しかった。テスラコイルを使った演出も考えている」と語っている。9~10月に予定されていたSoundwave Revolutionは中止されたが、代替イベント『Counter-Revolution』に出演した。

5月にはFun.(ファン.)と共同で全米ツアーを行い、コラボ曲「C'mon」を発表。また、バンドはビデオゲーム『Batman: Arkham City』のサウンドトラックに「Mercenary」を提供した。

『Vices & Virtues』ツアー終了後、次作に向けて制作を開始した。2013年7月、4作目となるアルバム『Too Weird to Live, Too Rare to Die!』のリリースを発表し、同時にシングル「Miss Jackson」を公開。フォール・アウト・ボーイの『Save Rock And Roll Arena Tour』のオープニング・アクトとしても出演した。しかし、ツアー直前にドラマーのスペンサー・スミスがアルコールと薬物依存の治療のため離脱し、サポートとしてDan Pawlovich(ダン・パヴロヴィッチ)が加わった。2014年にはブレンドン・ユーリーが「次作はソロになる可能性もある」と語り、2015年4月、スミスは正式に脱退を発表した。

同年4月、ユーリーは「Hallelujah」を突如リリースし、ビルボードホット100で40位を記録。9月には「Death of a Bachelor」、続いて「Victorious」が発表され、10月にアルバム『Death of a Bachelor』が正式にアナウンスされた。本作はユーリー単独制作による初のアルバムとなり、ダロン・ウィークスはツアーメンバーに降格。シングル「Emperor's New Clothes」、「LA Devotee」、「Don't Threaten Me with a Good Time」もリリースされた。

2016年、Weezer(ウィーザー)との合同ツアー『Weezer & Panic! at the Disco Summer Tour』を開催。さらに映画『スーサイド・スクワッド』のサウンドトラックにQueen(クイーン)のカバー「Bohemian Rhapsody」を提供した。2017年には『Death of a Bachelor Tour』を実施し、ライブ盤『All My Friends We're Glorious: Death of a Bachelor Tour Live』をリリース。12月にはクリスマス曲「Feels Like Christmas」を発表した。同月、ベーシストのダロン・ウィークスが脱退し、自身のプロジェクトに専念することになった。

2018年3月、バンドは新ツアーメンバーとしてNicole Row(ニコル・ロウ)を迎え、同月「Say Amen (Saturday Night)」と「(Fuck A) Silver Lining」をリリース。併せてアルバム『Pray for the Wicked』とツアーの開催を発表した。6月にはラスベガスのベラージオの噴水前で凱旋ライヴを行い、8月にはレディング&リーズ・フェスティバルにヘッドライナーとして出演。同月公開されたシングル「High Hopes」がヒットし、ビルボードホット100で自己最高位の4位を記録した。

一方で、2018年9月には長年のツアーギタリスト、Kenneth Harris(ケネス・ハリス)が不祥事により解雇され、10月にMike Naran(マイク・ナラン)が後任に決定。2019年には映画『アナと雪の女王2』のエンドクレジットでIdina Menzel(イディナ・メンゼル)の劇中歌の別バージョン「Into the Unknown」を担当し、大きな注目を集めた。

2019年5月、ユーリーがビルボードのインタビューで次回作の構想に着手していることを明かした。「しばらく休むつもりだったけれど、もう音楽を作り始めている。計画はないけれど、次の作品はそう遠くない」と語っている。2022年5月、公式サイト「Shut Up and Go to Bed」で新作の予告を開始。6月1日にシングル「Viva Las Vengeance」をリリースし、同名のアルバム『Viva Las Vengeance』が8月19日に発売されることが発表された。以降、「Middle Of A Breakup」(7月)、「Local God」(8月5日)、「Don't Let the Light Go Out」(8月16日)が順次シングルとして公開され、アルバム発売当日には「Sad Clown」のミュージック・ビデオも公開された。ツアー『Viva Las Vengeance Tour』も秋に開催され、11月にはシカゴ公演がデジタル配信としてアナウンスされた。また、過去の楽曲「House of Memories」がTikTokでバイラルとなり、スロー版とスピード版が再リリースされた。

2023年1月24日、ユーリーは第一子の誕生を控えていることを発表し、「家族に専念するため、バンドを終了する」と声明を出した。最終公演は2023年3月10日、イギリス・マンチェスターで行われた。

2025年10月、バンドはラスベガス・フェスティバル・グラウンズで毎年開催されている音楽フェスティバル『When We Were Young』にヘッドライナーとして一時的に復活。両日ともデビュー作『A Fever You Can't Sweat Out』を全曲披露し、アンコールではドラマーのスペンサー・スミスが参加し、「I Write Sins Not Tragedies」を再演した。翌日には同作の20周年デラックス・エディションの発売が発表され、2006年のライブ盤『Live in Denver』も初めてストリーミングおよびアナログ盤でリリースされることが明らかになった。