Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)のプロフィール
Aretha Franklin(アレサ・フランクリン)は、テネシー州メンフィス出身のシンガー、ソングライター、女優、ピアニスト、公民権活動家。
父親のClarence LaVaughn Franklin(クラレンス・ラヴォーン・フランクリン)はミシシッピ州シェルビー出身のバプテスト派の巡回牧師で、母親のBarbara Vernice Siggers Franklin(バーバラ・ヴァーニス・シガーズ・フランクリン)は才能に恵まれたピアノ奏者でありゴスペル歌手。その影響もあり、ミシガン州デトロイトにあるニューベテル・バプテスト教会でゴスペルを歌う子供としてキャリアをスタートさせました。
1961年、18歳のときにポップスをやってみたいと父親に打ち明け、ニューヨークに移住。父親はマネージャーを務めながら支援し、2曲のデモ制作を作りました。このデモがColumbia Records(コロムビア・レコード)の注目を集め、1960年に契約することになりました。アレサの最初のシングル「Today I Sing the Blues(トゥデイ・アイ・シング・ザ・ブルース)」は1960年9月にリリースされ、後にビルボードのHot Rhythm & Blues Sellersチャート(現在のHot R&B/Hip-Hop Songs)のトップ10入りを果たしました。
その後コンスタントに楽曲をリリースしますがレコードは商業的な成功を収めるまでには至らなかったため、結局1966年11月、アレサのコロンビア録音契約が失効。翌1967年、Atlantic Records(アトランティック・レコード)に移籍します。さっそく「I Never Loved a Man (The Way I Love You)(貴方だけを愛して)」をレコーディングしますが、マネージャーで夫のTed White(テッド・ホワイト)とスタジオのオーナーでありホーン奏者であるRick Hall(リック・ホール)との間で口論になり、セッションは中止、彼女のFAMEでのレコーディングは1曲のみとなってしまいました。
しかし、楽曲は翌月にリリースされ、R&Bチャートで初めて1位を獲得し、ビルボードホット100でも9位を記録。アレサにとって初のトップ10入りを果たしたポップ・シングルとなり、続くシングル「Respect(リスペクト)」は、R&Bチャートとホット100の両チャートで1位を獲得し、全英チャートでもトップ10入りを果たしました。
シングルの世界的な成功によって彼女の代表曲のひとつとなり、後に公民権とフェミニストの賛歌として賞賛されました。第10回グラミー賞では4つの部門にノミネートされ、女性R&Bソロ・ボーカルパフォーマンス賞、最優秀リズム・アンド・ブルース・パフォーマンス賞の2冠を手にします。同年リリースされたアトランティック・レコードでは初のアルバム「I Never Loved a Man the Way I Love You(貴方だけを愛して)」も商業的に成功し、RIAAでゴールド認定を受けるヒットとなりました。
以降次々と代表曲となるヒットを生み出しますが、70年代後半にかけて下火となってしまい、1979年に会社を去ることになり、翌年Arista Records(アリスタ・レコード)に移籍します。80年代に入るとダンスポップ、シンセポップ、コンテンポラリーR&B、クロスオーバーアピールのポップソングなど、1980年代半ばの人気ジャンルを盛り込んだ楽曲もリリースするようになり、映画「ブルース・ブラザーズ」に出演するなど活動の幅も広がります。
1987年にはロックの殿堂入りした最初の女性になり、90年代に入るとアポロシアターでミュージカル「ウィズ」でエムおばさん役を務めたり、1998年には映画「ブルース・ブラザース」の続編「ブルース・ブラザース2000」に再び出演します。2000年代後半からは入退院を繰り返すようになり、そんな中でも当時のアメリカの大統領、バラク・オバマ氏の大統領就任式で「My Country, 'Tis of Thee(マイ・カントリー・ティズ・オブ・ジー)」をパフォーマンスし国際的な注目を集めました。
2017年には最後となるツアーを発表。最後の公演となったのは2017年11月7日、ニューヨークのセント・ジョン・ザ・ディヴァイン大聖堂で行われたエイズ支援基金が25周年のガラパーティーでした。2018年8月、デトロイトのリバーフロント・タワーズにある自宅で重病であると報告され、この時すでにホスピスケアを受けており、友人や家族に囲まれていました。2018年8月16日に自宅で76歳、遺言なしに亡くなりました。追悼式はニュー・ベセル教会で行われ、チャールズ・H・ライト・アフリカ系アメリカ人歴史博物館で行われたお別れの会では数千人が敬意を表しました。
これまでに「The Queen of Soul(ソウルの女王)」として多くの賞を受賞し、いくつかの殿堂入りを果たしています。2010年発行の「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」で1位、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100組のアーティスト」で9位、2013年にはビルボードが史上最高の女性R&Bアーティストに指名しています。