マライア・キャリー

バイオグラフィー

BIOGRAPHY

Mariah Carey / マライア・キャリー

BIRTHDAY / 1970/3/27 (54歳)

BORN / アメリカ合衆国、ニューヨーク州ハンティントン

OCCUPATION / シンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優

Mariah Carey
出典:Photo Credit Ethan James Green

Mariah Carey(マライア・キャリー)のプロフィール

Mariah Carey(マライア・キャリー)はニューヨーク州ハンティントン出身のシンガーソングライター、音楽プロデューサー、女優。

生い立ち

アイルランド系の元オペラ歌手兼ボーカルコーチである母パトリシア(旧姓ヒッキー)と、アフリカ系アメリカ人およびアフリカ系アメリカ人の血統の航空エンジニアである父アルフレッド・ロイ・キャリーの3番目で末っ子として生まれた。人種差別に耐えながら幼少期を過ごし、3歳のときに両親は離婚。姉のアリソンは父親と、マライアと兄のモーガンは母親と暮らすことになる。

ニューヨーク州グリーンローンのハーバーフィールズ高校に通いながら詩と歌詞を書き始め、母親の指導の下でボーカルトレーニングを始める。

デモ歌手としての仕事のために彼女は頻繁に欠席するようになり、クラスメートは彼女にミラージュというニックネームを付けた。1987年に卒業するとニューヨーク市に引っ越し、アルバイトをしながら美容学校に通った。さらにマンハッタンの1ベッドルームのアパートに引っ越し、他の4人の女子学生と共同生活をしていた。

ある時、プエルトリコのフリースタイルシンガー、Brenda K. Starr(ブレンダ・K・スター)のバックコーラスをすることになり、1988年12月、マライアはブレンダに同行してCBSレコードエグゼクティブのパーティーに参加し、そこでブレンダがデモテープをコロムビア・レコードのトップであるTommy Mottola(トミー・モトーラ)に手渡す。

トミー・モトーラは帰宅中にテープを聞いた後、彼はすぐに運転手に向きを変えるように要求した。マライアはすでにイベントを去っていて、現代のシンデレラの物語として説明されているように、彼は彼女を探して次の2週間を過ごした。

その間に別のレコードレーベルが関心を示し、入札戦争が続いたが、マライアはコロムビアと署名し、トミー・モトーラはトップ・プロデューサーのRic Wake(リック・ウェイク)、Narada Michael Walden(ナラダ・マイケル・ウォルデン)、Rhett Lawrence(レット・ローレンス)の才能を集めた。コロムビアはマライアを彼らの名簿の主要な女性アーティストとして売り込み、別レーベルのWhitney Houston(ホイットニー・ヒューストン)やMadonna(マドンナ)と競争させるため、デビュー・スタジオ・アルバム『Mariah Carey』の宣伝に100万ドル以上を費やした。

歌手デビュー

アルバムに先駆けてデビューシングル「Vision of Love」を1990年5月にリリース。全米ビルボードホット100に73位でランクインし、9週間後にチャートの頂点に達した。この曲は4週間連続でチャートのトップを維持し、ビルボードホット100の年間チャートで6位にランクインした。

その間にデビュー・アルバム『Mariah Carey』をリリース。夏には2枚目のシングル「Love Takes Time」をリリースすると、ビルボードホット100で同じく9週間後にチャートの頂点に達した。この曲は3週連続で首位を維持した。

翌1991年、3枚目のシングル「Someday」をリリースするとビルボードホット100で3曲目の首位を獲得。第33回グラミー賞では最優秀新人賞を受賞し、シングル「Vision of Love」で最優秀女性ポップ・ボーカル・パフォーマンス賞を受賞した。グラミー賞で注目を集めたことでアルバムの人気に火が付き、全米ビルボード200では36週目にチャートのトップに立ち、11週連続1位となる大ヒット。1991年に米国で最も売れたアルバムとなり、世界で1,500万枚の売り上げを達成した。

4枚目のシングル「I Don't Wanna Cry」も1位を獲得し、1枚のアルバムから4曲を全米1位に送り込んだことで、Jackson 5(ジャクソン5)以来、最初の4枚のシングルが米国でチャートのトップを獲得した初のアーティストとなった。

デビュー後のキャリア

同年2枚目のスタジオ・アルバム『Emotions』からの同名リードシングル「Emotions」をリリースし全米ビルボードホット100ではデビュー曲から5曲連続で1位を獲得するという史上初の快挙を成し遂げる。

しかしアルバムは絶賛されたものの、計算されつくした構成で独創性に欠けていると批判されることもあり、最終的には全世界で800万枚を売り上げるも前作を下回る結果となる。

この流れを受けてワールドツアーを行わない方針を決めると作られた音域なのではないかと憶測が高まった。この流れを鎮めるために1992年、MTVアンプラグドに出演。ジャクソン5のヒット曲「I'll Be There」をカバーしシングルとしてもリリースすると大ヒットを記録。この成功を受けて出演した音源をライヴ・アルバムとしてリリースしこちらも大ヒットとなった。

1993年、3枚目のスタジオ・アルバム『Music Box』をリリースし、初めてプロモーションのための6日間のツアーを行う。シングル「Hero」や「Without You」がヒットしアルバムは史上最も売れたアルバムのひとつとなり、世界で2,800万枚以上の売り上げを記録した。この最中、トミー・モトーラと結婚している。

1994年、クリスマス・アルバムの計画を行い、真夏にスタジオを涼しくしながらクリスマスの雰囲気を作り上げ、『Merry Christmas』を制作。シングル「All I Want for Christmas Is You(邦題:恋人たちのクリスマス)」が日本のテレビドラマ『29才のクリスマス』の主題歌に起用され、オリコンシングルチャートで2位を記録し、130万枚の大ヒットとなった。『Merry Christmas』は世界的に大成功を収め、世界で1,500万枚以上の売り上げを記録した。

翌1995年にリリースされた4枚目のスタジオ・アルバム『Daydream』はこれまでのポップス要素からR&Bとヒップホップに大きく引き寄せられた作品となり、リードシングル「Fantasy」はビルボードホット100で女性では史上初となる初登場1位を記録。続くシングル「One Sweet Day」はBoyz II Men(ボーイズIIメン)とのデュエットで、ビルボードホット100で16週連続1位を獲得し、2019年にLil Nas X(リル・ナズ・X)が「Old Town Road」で更新するまで20年以上にわたって歴代1位となる最長記録となった。

その後はR&Bとヒップホップをより積極的に取り入れるようになり、1990年のデビューから1997年までの7年間、プロデューサー、ソングライターとして参加していたWalter Afanasieff(ウォルター・アファナシェフ)以外のプロデューサーたちとコラボレーションするようになる。この進化を前向きにとらえる批評家も多くいたが、アルバム『Butterfly』のセールスは落ち込み、トミー・モトーラとは離婚。離婚直前まで彼女はMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)に悩みを打ち明けて聞いてもらっていた。

1998年には映画出演による女優デビューのためのプロジェクトが始まり、他の映画の曲の製作なども行っていたがうまくいかず全て延期。コンピレーション・アルバム『#1』をリリース。

その後ソニーとの契約を履行するために残されたアルバムは1枚だけであり、元夫がまだ率いるレコードレーベルからプロとしての自分を切り離したいという強い願望を持って、1999年半ばに3か月でアルバム『Rainbow』を完成させると、ソニー・ミュージックを離れEMI傘下のヴァージン・レコードに移籍。100億円以上の契約金も話題となったが、2001年にはようやく完成した映画『グリッター きらめきの向こうに』が公開されるも失敗に終わり、サウンドトラック・アルバムとしてリリースした『Glitter』も低調なセールスに終わったため、結局EMIからはこの1作だけで契約を打ち切られることになる。

その後はアイランド・デフ・ジャム・ミュージック・グループと契約し2002年に9枚目のスタジオ・アルバム『Charmbracelet』をリリース。しかしボーカルの質の低下などが酷評され低水準なセールスとなる。

しかし2005年、シングル「It's Like That」がソロでは4年ぶりにビルボードホット100のトップ20入りとなる16位を記録。続くシングル「We Belong Together」が5年ぶりとなる全米1位を獲得し大ヒットとなる。さらにビルボードホット100では14週首位を獲得し、「One Sweet Day」に続く歴代2番目に最長記録を作った。

この勢いを受けて10枚目となるアルバム『The Emancipation of Mimi(邦題:ミミ)』では全盛期並みの高音が復活したと絶賛され、7作目となる1,000万枚超えを果たす大ヒットとなった。

その後も高いセールスを維持しながら2007年、11枚目のアルバム『E=MC²』をリリース。先行リリースされたシングル「Touch My Body」がビルボードホット100で首位を獲得し、アメリカ史上最も多くのナンバーワンシングルを持つソロアーティストとなった。2008年には俳優兼ラッパーのNick Cannon(ニック・キャノン)と結婚している。

2009年にはサファイアの1996年の小説『プッシュ』の映画化作品『プレシャス』でソーシャルワーカー役を演じた。この映画は批評家から概ね好評を博し、マライアの演技も評価され、パームスプリングス国際映画祭でブレイクスルー女優賞を受賞した。

同年12枚目のアルバム『Memoirs of an Imperfect Angel』をリリースし、ビルボード200で初登場3位を記録。翌2010年にはクリスマス・アルバムの第2弾となる『Merry Christmas II You』をリリースした。翌2011年には男女の双子を出産。しばらく仕事と子育てを続けながら2014年に久しぶりのスタジオ・アルバム『Me. I Am Mariah... The Elusive Chanteuse』をリリース。しかし別居が報じられ2015年に離婚。

2018年7月、キャリーはラスベガスで新たな常設公演『ザ・バタフライ・リターンズ』を開始し、批評家から高い評価を受けた。同年11月には4年ぶりとなる15枚目のアルバム『Caution』をリリースした。

2019年には『Merry Christmas』の発売25周年を記念して再リリース。これまでシングル化されていなかった「All I Want for Christmas Is You」はビルボードホット100のルール改定を繰り返し2013年に29位まで上昇。以降毎年クリスマスシーズンになるとランクインするようになり、2017年に初めてトップ10入り。2019年にリリースから25年を経て全米1位を獲得し、2025年1月現在、「One Sweet Day」を超える通算18週で首位を獲得。マライアにとっての最長首位記録を更新した。

参考記事
マライア・キャリー - Wikipedia
Mariah Carey - Wikipedia

WRITER

洋楽まっぷ編集部

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