プロフィール

Alicia Keys(アリシア・キーズ)のプロフィール、歌詞一覧、アルバム・シングルを網羅したディスコグラフィーをご紹介。最新の洋楽はここからチェック。
Alicia Keys(アリシア・キーズ)は、ニューヨーク市マンハッタン出身のシンガー、ソングライター。本名はAlicia Augello Cook(アリシア・オージェロ・クック)。
世界中で9,000万枚以上のレコードを売り上げ、世界で最も売れている音楽アーティストの一人となっている。ビルボード誌の2000年代R&B/ヒップホップ部門でトップアーティストに選ばれ、過去25年間のトップ50 R&B/ヒップホップアーティストでは10位にランクインしている。
ニューヨーク市のヘルズキッチン地区で生まれ、2歳のときに父親が去り、その後ヘルズキッチンでの形成期に母親に育てられた。7歳からピアノをはじめ、ベートーヴェン、モーツァルトやショパンといったクラシックからジャズまで幅広く音楽を学んでいる。
スズキ・メソッドと言われる音楽を通じて心豊かな人間を育てることを目的とする教育法を学んだと言われている。12歳でプロフェッショナル・パフォーミング・アーツ・スクールに入学し、音楽、舞踊、演劇の授業を受け、合唱団を専攻し、その後も中学校や高等学校で歌を歌い続け、音楽を作ったり、演奏を続けたりしていた。その後コロンビア大学に入学するも、音楽活動に専念するために4週間で中退。
13歳の時に知り合っていたマネージャーのJeff Robinson(ジェフ・ロビンソン)から業界について学び、彼は弁護士との会議やレコードレーベルとの交渉などに彼女と一緒に彼女を連れて行き、最終的に15歳の時にコロムビア・レコードとレコード契約。この際、コロムビアは彼女に26,000ドルの白いベビーグランドピアノを提供した。
その年、マンハッタンのコロンビア大学で学ぶための奨学金を受け入れた彼女は16歳で卒業生総代として高校を早く卒業し、彼女の音楽に取り組んでいる間、その年齢でコロンビア大学に通い始めた。大学と午前中のスタジオで働くことの間の困難なスケジュールを管理しようとし、無理をしてストレスと母親との遠い関係を悪化させてしまう。この期間中に彼女の人生で最も「憂鬱な」詩のいくつかを書いている。結局音楽をフルタイムで追求するために、1か月後に大学を中退することを決めた。
その後ソー・ソー・デフ・レコーディングスと契約し、レーベルのクリスマス・アルバム『The Little Drummer Girl』に参加したり、1997年の映画『メン・イン・ブラック』のサウンドトラックに登場した「Dah Dee Dah(Sexy Thing)」を制作し録音したが、成功したとは言えなかった。
アリシアは、コロムビアが「彼女の音楽的創造性を完全に軽視し始めた」時から、退社したいと考えていた。コロムビアを去ることは「大変な闘いだった」と彼女は回想している。A&R担当だったPeter Edge(ピーター・エッジ)は1998年、当時のアリスタ・レコードの社長だったClive Davis(クライヴ・デイヴィス)にアリシアを紹介している。
アリシアとジェフはデイヴィスの助けを借りてコロムビアとの契約を解消し、1998年後半にアリスタ・レコードと契約を結んだ。その際、創作した音楽を持ってアリスタ・レコードを去ることもできた。デイヴィスはキーズに彼女が望んでいた創造の自由とコントロールを与え、ありのままの自分でいることを奨励した。
16歳の時、芸名をワイルドにしようと考えていたが、マネージャーが夢にちなんでキーズという名前を提案した。彼女はその名前が、パフォーマーとしても人間としても彼女を体現していると感じていた。アリシアは映画『シャフト』(2000年)と『ドクター・ドリトル2』(2001年)のサウンドトラックに「Rock wit U」と「Rear View Mirror」を提供した。
2000年、デイヴィスはアリスタから追放され、アルバムのリリースは延期された。同年後半、デイヴィスはJレコードを設立し、アリシアはすぐに同レーベルと契約した。
アリシアはアメリカ各地で小規模なコンサートを開催し、数ヶ月にわたって業界のショーケースに出演した後、デビューを控えたプロモーションとして「ザ・トゥナイト・ショー」に出演するなどテレビ出演も果たした。デビュー・シングル「Fallin'」は2001年にリリースされるとビルボードホット100で1位になり、6週間連続でチャートのトップに君臨した。
コロンビア・レコードが拒否した楽曲を収録したデビュー・スタジオ・アルバム『Songs in A Minor』は同年6月にリリースされると世界中で1,200万枚を売り上げ、2001年で最も売れている新人歌手と最も売れているR&Bシンガーとなる。翌年のグラミー賞では、新人賞、最優秀楽曲賞、さらに「Fallin'」が最優秀楽曲賞に輝くなど、5部門を独占した。
2003年にリリースされた2枚目のスタジオ・アルバム『The Diary of Alicia Keys』も大ヒット。ビルボード200で初登場1位を記録し、リリースの初週に618,000部以上を売り上げ、2003年にリリースされた女性アーティストのアルバムとしては初週の最大の売り上げを記録した。最終的に全世界で800万枚を売り上げた。
2004年には著書『Tears for Water: Songbook of Poems and Lyrics』を発売。2005年にニューヨークタイムズのベストセラーリストとなった。翌年、ブルックリン・アカデミー・オブ・ミュージックでMTVアンプラグドシリーズの撮影を行い、CDとDVDでリリースされた。アンプラグド・シリーズとしては女性アーティスト最大のセールスを記録し、ビルボード200でも初登場1位を獲得した。
その後も好調なセールスが続き、2007年の3枚目のスタジオ・アルバム『As I Am』は全世界で500万枚を記録。シングル「No One」はビルボードホット100で5週連続1位を獲得。米国では2000年代の10年間で6番目にヒットした曲となり、RIAA(米国レコード協会)から初のダイヤモンド認定を獲得した。
また同年、『スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい』で映画デビューを果たすなど大活躍。2009年には4枚目のスタジオ・アルバム『The Element of Freedom』をリリース。ビルボード200では2位と初めて首位を逃すも、初週で41万7000枚を売り上げている。
2011年10月7日、ソニーミュージック傘下のRCAミュージック・グループがJレコード、アリスタ・レコード、ジャイブ・レコードを吸収合併すると発表。この閉鎖に伴い、以後のアリシアのリリースはRCAレコードからとなる。翌2012年に5枚目のスタジオ・アルバム『Girl on Fire』をリリースし、ビルボード200では5作目の首位を獲得した。
2013年には第47回スーパーボウルで国歌斉唱を務めた。2016年にリリースされた6枚目のスタジオ・アルバム『Here』もビルボード200で2位を記録。同年オーディション番組「The Voice」で審査員として出演。
2019年には第61回グラミー賞のホストとして発表され、女性が14年ぶりにショーを主催したことも話題となった。特に2台のピアノを同時に演奏するパフォーマンスは、エンターテインメントトゥナイトによる第61回グラミー賞と彼女のファッションにも注目したロサンゼルスデイリーニュースの最高のパフォーマンス/最も記憶に残る瞬間の1つとして宣言された。
2020年には7枚目のスタジオ・アルバム『Alicia』をリリース。ビルボード200ではデビュー作から7作連続でトップ5入りを果たしたが、翌2021年リリースのアルバム『Keys』はビルボード200で41位と大きく順位を落とした。翌2022年夏にRCAレコードとの契約が終了。自身のレコードレーベル、アリシア・キーズ・レコードを設立し、同年11月には初のクリスマス・アルバム『Santa Baby』をリリースした。
2024年2月、第55回スーパーボウルLVIIIのハーフタイム・エンターテイメントにヘッドライナーのUsher(アッシャー)のゲストとして出演し、「If I Ain't Got You」を披露した後、アッシャーとデュエット曲「My Boo」を歌った。