Bruno Mars(ブルーノ・マーズ)のプロフィール
Bruno Mars(ブルーノ・マーズ)は、ホノルル出身の歌手。本名はPeter Gene Hernandez(ピーター・ジーン・ヘルナンデス)。
生い立ち
ホノルルのワイキキ地区で育ち、2歳のときにプロレスラーのBruno Sammartino(ブルーノ・サンマルチノ)に似ていると感じた父親が彼のことを「ブルーノ」と呼ぶようになる。
そんな父親はLittle Richard(リトル・リチャード)のロックンロール音楽を演奏し、幼い頃に彼にインスピレーションを与えた。母親は歌手でありダンサーだったこともあり、ロックンロール、後にレゲエ、ロック、ヒップホップ、R&Bなどのさまざまな音楽ジャンルのミックスに触れながら育った。
4歳のときに、ファミリーバンド、The Love Notes(ザ・ラヴ・ノーツ)を結成し週5日演奏を始め、Elvis Presley(エルヴィス・プレスリー)になりすましたことでハワイで知られるようになった。
1990年にはハワイのタブロイド紙で『リトル・エルヴィス』として取り上げられ、同年アロハボウルのハーフタイムショーに出演している。12歳のときに両親が離婚し、ザ・ラヴ・ノーツの活動も終了した。
その後ホノルルのセオドア・ルーズベルト高校に通い、The School Boys(ザ・スクール・ボーイズ)というグループを結成し、同時に父親のバンドにも参加していた。ハワイではこの頃既にかなり有名になっており、有名人のなりすましショーでMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)になりすまして、パフォーマンスごとに75ドルを稼ぐなどをしていた。
妹がアフターマス・エンターテインメントのレコードレーベルのA&Rの責任者であるMike Lynn(マイク・リン)にデモを送り、それを聞いたマイク・リンはブルーノにロサンゼルスに来るよう促す。
そして2003年、17歳で高校を卒業した直後、音楽のキャリアを追求するためにロサンゼルスに移ることに。当時、彼はマンスフィールドアベニューに住んでいて、近所の貧困と喧噪に驚いたそう。
この頃よりステージネームとして、父親からの呼び名に「Mars(火星)」と言う単語をつけてBruno Mars(ブルーノ・マーズ)と言う名前を採用。彼の芸名の採用は、音楽業界が彼を別のラテンアーティストとして鳩穴にしようとしたため、「ステレオタイプ化を回避する」ための努力でもあった。彼らはブルーノにスペイン語で歌うように説得しようとさえした。
デビュー後のキャリア
ロサンゼルスに引っ越して間もなく、2004年にモータウンレコードとレコード契約を結ぶも、1年も経たないうちにレーベルから脱落。
2005年にウェストサイド・インディペンデントでアメリカのレコードプロデューサーであるSteve Lindsey(スティーヴ・リンジー)、Cameron Strang(キャメロン・ストラング)と音楽出版契約を結んだ。
スティーヴ・リンジーは彼と仲間のソングライター、Brody Brown(ブロディ・ブラウン)とJeff Bhasker(ジェフ・バスカー)にポップ・ミュージックを書くことの内外を示し、メンターとして行動し、彼らが彼らの技術を磨くのを助けた。ヒットポップソングとは何かについて5年間スティーヴ・リンジーの元で学び、同時に兄弟とバンド演奏も行っていた。
2006年、アトランティック・レコードの将来のA&RマネージャーであるAaron Bay-Schuck(アーロン・ベイシュック)に紹介され、ブルーノがギターで数曲演奏するのを聞いた後、アーロンはすぐに署名したがりますが、アトランティック・レコードが最終的にレーベルに署名するのに約3年かかった。
この時期以降しばらくは音楽プロデューサーでありソングライターとして、いくつかの楽曲製作に参加。
2009年には初めてフューチャーゲストとして参加したB.o.B(ビー・オー・ビー)の「Nothin' on You」が大ヒットし、ソロ・アーティストとしてデビューする前に全米1位、全英1位を獲得するという異例の経歴となる。
2010年にはTravie McCoy(トラヴィー・マッコイ)のシングル「Billionaire」に参加しこちらも大ヒットとなり、ソロ・アーティストとして成功する。その後すぐにデビューEP『It's Better If You Don't Understand』をリリース。
その2か月後、デビュー・アルバムからのリードシングルとして「Just the Way You Are」をリリース。続くシングル「Grenade」と共に全米1位を獲得し、さらにビルボードホット100の年間チャート1位2位を独占するという快挙を達成し一躍スターに。デビュー・アルバム『Doo-Wops&Hooligans』は全世界で1550万枚を超えるセールスを記録する。
2011年には「世界デジタル・シングル売上TOP10」に3曲を送り込む快挙も達成。MTV「ヨーロピアン・ミュージック・アワード(EMA) 2011」で最優秀新人賞と最優秀「MTV Push」賞を受賞。
2014年にはMark Ronson(マーク・ロンソン)のシングル「Uptown Funk」にゲスト参加し大ヒット。ダウンロードシングルとディスクの売り上げ合計が2000万枚を超え、全米ビルボードホット100では14週連続1位を記録。ビルボードにおける当時の1位獲得週歴代2位タイ記録となった。
2016年にリリースされた3枚目のスタジオ・アルバム『24K Magic』は全世界で270万枚を売り上げ、この年ディスクセールスが100万枚以上を売り上げた数少ないアーティストとなった。
さらに第60回グラミー賞では、最優秀アルバム賞、最優秀R&Bアルバム賞、またシングルリリースされた「24K Magic」が最優秀レコード賞、同じくシングルリリースされた「That's What I Like」が最優秀楽曲賞、最優秀R&Bパフォーマンス賞を受賞するなど、主要部門を含む、ノミネートされていた全6部門を制した。
デビューから数々の賞を受賞しており、全世界で1億3000万枚以上のレコードを売り上げ、さらに全米ビルボードホット100においては最も多く1位を獲得した男性ソロ・アーティストでもある。
2021年にはAnderson .Paak(アンダーソン・パーク)とデュオ、Silk Sonic(シルク・ソニック)を結成し、デビュー曲「Leave the Door Open」をリリース。全米ビルボードホット100では1位を獲得している。