Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)のプロフィール
Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)は、カナダ、オンタリオ州出身のシンガー、ソングライター、女優。本名はEilleen Regina Edwards(アイリーン・レジーナ・エドワーズ)。
幼い頃母親は離婚、先住民族オジブワ族の義父のもとで異父兄弟3人と共に育てられますが、両親の夫婦げんかと貧しさで家庭は崩壊寸前でした。そんな家庭を遠く離れて、彼女はわずか8歳の時バーで歌い始め、10歳で詩を書き、13歳でバンドのボーカルをするなど家計を助けるようになります。1983年、高校を卒業すると音楽の視野を広げていくことに決めます。
翌1984年にはトロントのラジオDJ、Stan Campbell(スタン・キャンベル)によって書かれたカントリー・ミュージック・ニュースの記事で注目されるようになります。彼はたまたまカナダのミュージシャンTim Denis(ティム・デニス)のアルバムを制作中であったことから、その中の一曲のバッキング・ボーカルをやることになりました。
Stan Campbell(スタン・キャンベル)は彼女を音楽関係者に紹介し、その一人、1976年にチャートインしたこともある地元のカントリー・シンガーMary Bailey(メアリー・ベイリー)に出会います。Mary Bailey(メアリー・ベイリー)はStan Campbell(スタン・キャンベル)から彼女を譲り受ける契約を行い、彼女を毎日自宅で何時間も練習させました。
1985年、Mary Bailey(メアリー・ベイリー)は彼女を連れてナッシュビルにいる友人、レコードプロデューサーのTony Migliore(トニー・ミリオール)を訪ね、Kelita Haverland(ケリータ・ハーバーランド)のアルバムでバッキング・ボーカルを努めます。当時のShania Twain(シャナイア・トゥエイン)はロック・ミュージシャンを目指していたため、同時に行われていたデモ制作は失敗に終わります。その後彼女はトロントに戻り、以降はロック歌手ではなく、カントリー・ミュージックに集中すべきことを確信します。
彼女は自分の名前を、オジブワ族由来の「我が道を行く」を意味するShania(シャナイア)に変更し1993年、彼女のデビューアルバムがリリースされ、始めてカナダ以外の好評を博することになりました。
2ndアルバム「The Woman in Me(ザ・ウーマン・イン・ミー)」は彼女の最初の夫であり音楽プロデューサーのRobert John "Mutt" Lange(ロバート・ジョン・"マット"・ランジ)がプロデュースしたもので、全米で760万枚以上を売り上げる大ヒットを記録。このアルバムでグラミー賞「最優秀カントリー・アルバム賞」を受賞し、全世界トータルセールスは2000万枚を記録。
勢いは更に伸び、1996年リリースの3rdアルバム「Come on Over(カム・オン・オーヴァー)」が4000万枚を超えるヒットとなります。収録シングル「You're Still the One(ユアー・スティール・ザ・ワン)」はBillboard Hot 100で初のトップ10入りとなる2位を記録し、その後3枚のシングルがヒット。アルバムセールスが大きく伸びた要因となり、第41回グラミー賞では6部門にノミネートされ、「You're Still the One(ユアー・スティール・ザ・ワン)」で2部門を受賞。2019年現在全世界歴代アルバムセールス第10位を記録しています。
2002年リリースの4thアルバム「Up!(アップ!)」も大ヒット。全米売り上げは550万枚と落ちましたが、全世界でのトータルセールスが2000万枚を超え、3作連続で2000万枚を売り上げました。
これまでに1億枚の以上のレコードを売り上げ、彼女はカントリー・ミュージック史上だけでなく、広くは全音楽史上で最も売れているアーティストの1人であり、Canada's Walk of Fame及びthe Hollywood Walk of Fameにその名前が刻まれています。