シャナイア・トゥエイン

バイオグラフィー

BIOGRAPHY

Shania Twain / シャナイア・トゥエイン

BIRTHDAY / 1965/8/28 (59歳)

BORN / カナダ、オンタリオ州

OCCUPATION / シンガー、ソングライター

Shania Twain
出典:Photo Credit Louie Banks

Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)のプロフィール

Shania Twain(シャナイア・トゥエイン)は、カナダ、オンタリオ州出身のシンガー、ソングライター、女優。本名はEilleen Regina Edwards(アイリーン・レジーナ・エドワーズ)。

生い立ち

幼い頃母親は離婚。先住民族オジブワ族の義父のもとで異父兄弟3人と共に育てられるが、両親の夫婦げんかと貧しさで家庭は崩壊寸前だった。

そんな家庭を遠く離れて、彼女はわずか8歳の時バーで歌い始め、10歳で詩を書き、13歳でバンドのボーカルをするなど家計を助けるようになる。1983年、高校を卒業すると音楽の視野を広げていくことに決める。

翌1984年にはトロントのラジオDJ、Stan Campbell(スタン・キャンベル)によって書かれたカントリー・ミュージック・ニュースの記事で注目されるようになる。彼はたまたまカナダのミュージシャンTim Denis(ティム・デニス)のアルバムを制作中であったことから、その中の一曲のバッキング・ボーカルをやることになった。

スタン・キャンベルは彼女を音楽関係者に紹介し、その一人、1976年にチャートインしたこともある地元のカントリー・シンガーMary Bailey(メアリー・ベイリー)に出会う。メアリー・ベイリーはスタン・キャンベルから彼女を譲り受ける契約を行い、彼女を毎日自宅で何時間も練習させた。

1985年、メアリー・ベイリーは彼女を連れてナッシュビルにいる友人、レコードプロデューサーのTony Migliore(トニー・ミリオール)を訪ね、Kelita Haverland(ケリータ・ハーバーランド)のアルバムでバッキング・ボーカルを努める。当時はロック・ミュージシャンを目指していたため、同時に行われていたデモ制作は失敗に終わる。その後彼女はトロントに戻り、以降はロック歌手ではなく、カントリー・ミュージックに集中すべきことを確信する。

1987年11月1日、彼女の母親と義父はオンタリオ州ワワの北約50キロで自動車事故により亡くなると、彼女は弟妹の世話をするためにティミンズに戻り、全員をオンタリオ州ハンツビルに連れて行き、近くのディアハーストリゾートで演奏してお金を稼いで彼らを支えた。

歌手デビュー

数年後、兄弟が家を出て独り立ちすると、彼女は自分の曲のデモテープをまとめ、ハンツビルのマネージャーはレコード会社の重役たちに彼女の曲を披露するショーケースを準備した。数社のレコード会社の目に留まる中、マーキュリー・ナッシュビル・レコードと契約。彼女は自分の名前を、オジブワ族由来の「我が道を行く」を意味するShania(シャナイア)に変更した。

1993年、デビューシングル「What Made You Say That」をリリース。翌月にデビュー・スタジオ・アルバム『Shania Twain』をリリースした。

デビュー後のキャリア

1995年には2枚目のスタジオ・アルバム『The Woman in Me』は彼女の最初の夫であり音楽プロデューサーのRobert John "Mutt" Lange(ロバート・ジョン・"マット"・ラング)がプロデュースしたもので、米ビルボードのカントリー・アルバム・チャートで初の1位を獲得し、全米で760万枚以上を売り上げる大ヒットを記録。第38回グラミー賞で最優秀カントリー・アルバム賞を受賞し、全世界トータルセールスは2,000万枚を記録した。

アルバムからのシングルとしてはリード曲「Whose Bed Have Your Boots Been Under?」がビルボードホット100に初エントリーを果たし、31位にランクイン。合わせて8枚のシングルがリリースされ、4枚のシングルがホット・カントリー・チャートで1位を獲得。中でも「Any Man of Mine」はRIAAにてダブルプラチナ認定を獲得するヒットとなった。

勢いは更に伸び、1996年にリリースされた3枚目のスタジオ・アルバム『Come on Over』が4,000万枚を超えるヒットとなる。アルバムは女性ソロ・アーティストによる史上最も売れたスタジオ・アルバムとしてギネス世界記録に認定された。さらに米国では、最も売れたカントリー・アルバムとなった。

あまりにも世界的ヒットとなったため、カントリー・ポップというジャンルとなっているこのアルバムは、カントリーではないのではないかといった批判の声まであった。しかしそんな声はごく一部にとどまり、その後のカントリー・アーティストにも大きな影響を与えた。

アルバムからは「You're Still the One」はビルボードホット100で初のトップ10入りとなる2位を記録し、その後3枚のシングルがヒット。アルバムセールスが大きく伸びた要因となり、第41回グラミー賞では6部門にノミネートされ、「You're Still the One」で2部門を受賞。アルバムは全世界の歴代アルバムセールス第10位を記録している。最終的にアルバム収録曲全16曲のうち、4年かけて12曲がシングル化された。

アルバムは米国とは異なり、ヨーロッパなど他の国ではカントリー要素を減らしたポップ・アルバムとしてリリースされたことも大ヒットの貢献につながった。イギリスのアルバム・チャートでは11週間1位を獲得し、その年最も売れたアルバムとなり、他のヨーロッパの主要市場でもベストセラーとなった。

マネージメントの変更と2年間の休止期間、そして息子のエジャ(発音は「エイシア」)・ダンジェロの誕生を経て、トウェインとランジはスタジオに戻ると、2002年には4枚目のアルバム『Up』をリリースした。このアルバムは3つの異なるディスク(カントリー/アコースティック(緑のCD)、ポップ/ロック(赤のCD)、ワールド/ダンス(青のCD))でリリースされた。

ビルボード200では5週間首位を獲得し、ドイツで1位、オーストラリアで2位、イギリスとフランスでトップ5入りを果たした。全米売り上げは550万枚。シングル「Up」は日本でもCMで起用され知名度の高い曲となっている。

2004年には3曲の新曲を収録したコンピレーション・アルバム『Greatest Hits』をリリースした。カントリーチャートで1位、ビルボード200で2位を獲得。米国では400万枚以上を売り上げている。このアルバムのための新曲「Party for Two」はRIAAでプラチナ認定を獲得するヒットとなった。

2008年5月15日、彼女とラングは別居することが発表された。ラングはシャナイア・トウェインの親友Marie-Anne Thiébaud(マリーアンヌ・ティボー)と不倫関係にあった。彼らの離婚は2010年に成立している。翌2009年6月には、次のアルバムのリリースが遅れていることを説明し、個人的な苦悩を経験し、息子のエジャの育児に集中していると述べた。2011年にはマリーアンヌの元夫でスイスのネスレの役員であるFrédéric Thiébaud(フレデリック・ティボー)と再婚している。

同年、カナダの音楽の殿堂入りを果たす。さらに育った環境や、21世紀の最初の10年間に経験した音楽活動休止など、歩んできたキャリアに焦点を当てたドキュメンタリー『Why Not? with Shania Twain』が放送され、最終回を迎えた後、7年ぶりとなるシングル「Today Is Your Day」をリリース。ラングがプロデュースに関わっていない曲としては『The Woman in Me』以来となり、その後ラスベガスのシーザーズパレスで2年間ヘッドライナーを務めると発表。2012年から2014年まで行われた。

ショーを行いながら2013年頃より次のアルバムに向けた準備を行っていることも発表。ラスベガスの公演を終えた翌2015年には11年ぶりに米国・カナダをまわるツアー『Rock This Country Tour』を行った。5枚目のスタジオ・アルバム『Now』は2017年9月29日にリリースされ、ビルボード200で初登場1位となり、彼女にとって2枚目の首位獲得アルバムとなった。

2019年6月、彼女は2度目のラスベガス常設公演『Let's Go!』を開始するが、 COVID-19パンデミックにより多くの日程が延期またはキャンセルとなり、常設公演は2022年9月10日に終了した。同年7月、Netflixでキャリアを追ったドキュメンタリー『Not Just A Girl』が公開。同じタイミングでコンピレーション・アルバム『Not Just a Girl (The Highlights)』をリリースした。

常設公演を終えた2022年9月、リパブリック・ナッシュビルと契約し、6枚目のスタジオ・アルバムからのリードシングルとして「Waking Up Dreaming」をリリースした。アルバム『Queen of Me』は翌2023年にリリースされた。ビルボード200では初登場10位を記録し、1990年代、2000年代、10年代、20年代にビルボード200のトップ10に新たにランクインした女性アーティストとなった。全英アルバムチャートでは初登場1位を獲得し、自身3枚目のナンバーワンアルバムとなった。

2024年9月2日、彼女はラスベガスのレジデンシーを延長し、プラネット・ハリウッド・ラスベガスのPHライブで『Shania Twain: COME ON OVER - The Las Vegas Residency』を2025年1月と2月に9回の最終公演を行うことを発表した。

参考記事
シャナイア・トゥエイン - Wikipedia
Shania Twain - Wikipedia

WRITER

洋楽まっぷ編集部

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