Britney Spears

BIOGRAPHY

BIRTHDAY1981/12/2
BORNミシシッピ州マコーム
OCCUPATIONシンガーソングライター、ダンサー、女優

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Britney Spears(ブリトニー・スピアーズ)のプロフィール

Britney Spears(ブリトニー・スピアーズ)は、ミシシッピ州マコーム出身のシンガーソングライター、ダンサー、女優。1990年代後半から2000年代初頭にかけて、ティーンポップの復活に影響を与えたとされており、そのために彼女は「ポップの王女」と呼ばれています。

3歳のとき、故郷のルイジアナ州ケントウッドでダンスレッスンに参加し始め、毎年恒例のリサイタルでソロアーティストとして出演するように選ばれました。5歳で地元の舞台デビューを果たし、幼稚園の卒業式では「御使いうたいて」を歌いました。他にも体操や声のレッスンも受け、多くの州レベルの大会や子供たちのタレントショーで優勝しました。

8歳のとき、彼女と母親のリンはジョージア州アトランタを訪れ、1990年代の「ミッキーマウスクラブ」の復活のオーディションを受けました。キャスティングディレクターのMatt Casella(マット・カゼッラ)は彼女を若すぎるとして拒絶しましたが、ニューヨーク市のタレントエージェントであるNancy Carson(ナンシー・カーソン)を紹介すると、彼女の歌に感銘を受け、プロのパフォーミングアーツスクールに彼女を入学させることを提案しました。その後まもなく、リンと彼女の娘たちはニューヨークのサブレットアパートに引っ越します。

その後はブロードウェイ以外のミュージカル「ルースレス!」でのTina Denmark(ティナ・デンマーク)の主役の代役として、彼女の最初のプロとしての役割に採用され、人気のテレビ番組「スターサーチ」に出場者として出演し、多くのコマーシャルに出演するなど徐々に露出を増やしていきました。1992年、11歳で「ミッキーマウスクラブ」のオーディションに再び応募し合格。Christina Aguilera(クリスティーナ・アギレラ)、Justin Timberlake(ジャスティン・ティンバーレイク)、Ryan Gosling(ライアン・ゴズリング)、Keri Russell(ケリー・ラッセル)と一緒に出演しました。

1994年にショーが終了すると彼女はミシシッピ州に戻り、マッコムのパークレーンアカデミーに入学に通います。1997年にはマネージャーのLou Pearlman(ルー・パールマン)と話し合い、女性のポップグループであるInnosense(イノセンス)に参加。プロのデモを作りニューヨークへ向かい、4つのレーベルの幹部と会いましたが、最終的にジャイブレコードと契約します。その後すぐに資料用としてプロデューサーのEric Foster White(エリック・フォスター・ホワイト)と1か月間楽曲のレコーディングを行い、曲を聴いたジャイブレコードのClive Calder(クライヴ・カルダー)がフルアルバムを作ることを注文します。そしてスウェーデンのストックホルムにあるシェイロン・スタジオに飛び、1998年3月から4月にかけて、プロデューサーの(マックス・マーティン)Max Martin、Denniz Pop(デニス・ポップ)、Rami Yacoub(ラミ・ヤコブ)などと共にレコーディングを行います。

アメリカに戻るとデビュー・アルバムを宣伝するためにショッピングモールのプロモーションツアーに乗り出し、NSYNC(イン・シンク)のオープニングアクトを務めます。1999年デビュー・アルバム「...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)」をリリース。ビルボード200で初登場1位を記録し、その他全世界15か国で1位を獲得する世界的ヒットとなり、年間1000万枚以上を売り上げ、10代のアーティストによるこれまでで最も売れたアルバムになりました。同名シングルは初日に500,000枚を売り、ビルボードホット100で初登場1位を記録、その後2週連続首位をキープしました。最終的には1000万枚以上を売り上げています。その後もシングルをリリースしデビュー・アルバムは最終的に2500万枚以上を売り上げる大ヒットとなりました。

2000年には2枚目のスタジオ・アルバム「Oops!... I Did It Again(ウップス!...アイ・ディド・イット・アゲイン)」をリリース。こちらは1週刊で130万枚を売り上げ、ニールセンサウンドスキャンの当時の記録を更新し、ソロアーティストの中で最高のデビュー売上を記録しました。このアルバムも世界中で2000万枚以上を売り上げています。

2001年、3枚目のスタジオ・アルバム「Britney(ブリトニー)」はこれまでの2枚と異なり、ヒップホップアーティストに触発され、よりファンキーなサウンドを追求した作品となりました。ビルボード200では初登場1位を記録、全世界で900万枚を売り上げます。翌2002年にかけて大規模なツアーに乗り出し、彼女が世界で最も強力な有名人にランクされたため、2002年にフォーブスによって強調されました。ツアーが終わると約半年の休業に入ると発表しましたが、約数ヶ月でスタジオに戻って新しいアルバムのレコーディングを開始しました。

2003年に行われたMTVビデオ・ミュージック・アワードではクリスティーナ・アギレラと「Like a Virgin(ライク・ア・ヴァージン)」のパフォーマンスを行いました。途中でMadonna(マドンナ)も加わり、2人でキスを交わし世界的な大きな話題となりました。同年11月には4枚目のスタジオ・アルバム「In the Zone(イン・ザ・ゾーン)」をリリース。いくつかの楽曲の曲作りに自ら参加し、ソングライターとしての技量の高さも話題となりました。中でもシングル「Toxic(トキシック)」は第47回グラミー賞で最優秀ダンス・レコーディング賞を受賞し、ブリトニーにとって唯一の受賞作品となりました。

2004年、ネバダ州ラスベガスのリトルホワイトウェディングチャペルで幼なじみのJason Allen Alexander(ジェイソン・アレン・アレクサンダー)と結婚。しかしあまりにも衝動的な結婚に55時間後に無効となります。その数ヶ月後、ミュージック・ビデオの撮影中に左膝を負傷しその時行っていたツアーをキャンセル。そのわずか1か月後、ダンサーのKevin Federline(ケビン・フェダーライン)と婚約。結婚式を開くも、夫婦の婚前契約の最終決定が遅れ合法とはなりませんでしたが、その後婚姻届けを提出。この年以降ゴシップ誌にも度々「お騒がせセレブ」として取り上げられるようになりますが、11月には初のコンピレーション・アルバム「Greatest Hits: My Prerogative(グレイテスト・ヒッツ:マイ・プリロガティヴ)」をリリースしヒット。休業宣言し、翌2005年に妊娠を公式発表。9月に長男のSean Preston(ショーン・プレストン)を出産し、翌2006年には次男のJayden James(ジェイデン・ジェームス)を出産。しかしその2か月後、ケヴィン・フェダーラインとロサンゼルス郡高等裁判所に離婚を申し立てを行います。その後離婚協議の結果、翌年2007年3月に親権は共同保有、ブリトニー側からケヴィンに慰謝料を支払うことで合意し、7月に離婚が成立。しかし2007年から精神不安定のためか突然自らバリカンを持って坊主頭にしたり、パパラッチを傘で叩いたりなど完全に「お騒がせセレブ」と化しており、ケヴィン・フェダーラインが共同で持っていた子供の養育権をブリトニーから奪う書類を裁判所に提出。一時的に親権が奪われることが決定してしまいます。

この間にリリースされたシングル「Gimme More(ギミ・モア)」はプライベートのマイナスなイメージに関係なくビルボードホット100で3位、カナダで1位を獲得するなどヒットします。しかしこの曲のパフォーマンスを披露したMTVビデオ・ミュージック・アワードではダンスにキレもなく口パクもズレ、復帰失敗と酷評されてしまいます。また5枚目のスタジオ・アルバム「Blackout(ブラックアウト)」もリリースされ、ビルボード200では初登場2位と初めて首位を逃しますが、世界的なセールスは300万枚と前作に近い売り上げを維持しました。

2008年1月、自身もしくは他の人たちに危険を及ぼす可能性があるとしてカリフォルニア大学ロサンゼルス校医療センターに搬送。約1週間で退院し、その後、父親のJamie Spears(ジェイミー・スピアーズ)がロサンゼルス地方裁判所により成年後見人として選出され権限を与えられます。3月にはCBSのコメディテレビドラマ「ママと恋に落ちるまで」に出演。注目度の高さから過去最高の視聴率をマークします。その後7月には親権争いで和解が成立し、ケヴィンが息子2人の親権を維持することとなります。

9月には次のアルバムのリードシングルとして「Womanizer(ウーマナイザー)」をリリース。ビルボードホット100では「...Baby One More Time(ベイビー・ワン・モア・タイム)」以来2曲目となる1位を獲得し完全復活を遂げます。12月にリリースされた5枚目のスタジオ・アルバム「Circus(サーカス)」も好評でビルボード200で初登場1位を記録。5枚のアルバムが初登場1位を記録した最年少女性アーティストとしてギネス記録にも認定されました。最終的に前作を上回る400万枚を超えるセールスを記録しています。

2009年にはコンピレーション・アルバム「The Singles Collection(シングル・コレクション)」をリリースし、リードシングル「3」で3曲目の全米1位を獲得。その後は2010年にかけてワールド・ツアー「The Circus Starring Britney Spears」を行い、「コールズ」とタッグを組んで生まれたブランド「キャンディーズ」のオリジナルの香水を発売するなど多忙を極めます。

2011年には7枚目のスタジオ・アルバムである「Femme Fatale(ファム・ファタール)」をリリース。米国、カナダ、オーストラリアで1位を獲得し、リードシングル「Hold It Against Me(ホールド・イット・アゲインスト・ミー)」も全米1位を獲得し、Mariah Carey(マライア・キャリー)に次ぐ2回連続の初登場1位を果たした史上2番目のアーティストになりました。その後約半年かけてアルバムのツアーを行い、12月には長年のボーイフレンドであるJason Trawick(ジェイソン・トラウィック)と婚約(翌年解消)。またこの年はRihanna(リアーナ)のシングル「S&M」のリミックスにゲスト出演し、こちらも全米1位を獲得しています。

2012年にはオーディション番組「Xファクター」に審査員として出演。またwill.i.am(ウィル・アイ・アム)のシングル「Scream & Shout(スクリーム&シャウト)」にゲスト出演し、全世界で800万枚を売り上げる大ヒットとなります。2013年には8thアルバム「Britney Jean(ブリトニー・ジーン)」をリリース。2011年のジャイヴレコードの解散により、RCAレコードを通じてリリースされました。8枚のスタジオ・アルバムのリリースを保証していたジャイブとの最初のレコーディング契約の下で、最後のプロジェクトになりました。9月にはグッドモーニングアメリカに出演し、ラスベガスのプラネットハリウッドリゾート&カジノでの2年間のコンサート滞在を発表します。このショーは2013年12月27日に始まり、2014年から2015年にかけて合計100回行われました。このショーの影響でアルバムのプロモーションがまともにできず、最も売上の低い作品となってしまいます。

2016年には9thアルバム「Glory(グローリー)」をリリース。9年ぶりにMTVビデオ・ミュージック・アワードでパフォーマンスを行うこととなり大きな話題となります。翌2017年にはラジオディズニーミュージックアワードでアイコンアワードの最初の受賞者になりました。年末に行われたショーでは最終公演は1172万ドルをもたらし、ラスベガスでの1回のショーで新しい興行成績の記録を更新しました。2018年もツアーを中心に活動を行い、2019年も予定されていましたが、父親のジェイミーが致命的な結腸破裂に見舞われた後、無期限の休止とラスベガスでの居住のキャンセルを発表しました。翌月、ファンのポッドキャストであるBritney's Gramが、Spearsの法務​​チームの元メンバーであると主張する情報源からのボイスメールメッセージをリリースしました。彼らは、ジェイミーがスピアーズが薬の服用を拒否したために居住をキャンセルしたこと、彼女が運転禁止規則に違反した後、2019年1月から彼女の意志に反して施設に彼女を拘束していたこと、そして彼女の保護が終了したはずだったと主張しました。これをきっかけに「#FreeBritney」が世界中で話題となり、2021年、ジェイミーが後見人を辞任することに同意しています。

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