プロフィール

Justin Bieber(ジャスティン・ビーバー)のプロフィール、歌詞一覧、アルバム・シングルを網羅したディスコグラフィーをご紹介。最新の洋楽はここからチェック。
Justin Bieber(ジャスティン・ビーバー)は、オンタリオ州ストラトフォード出身のシンガー、ソングライター、俳優。
全世界で推定1億5,000万枚以上のレコードを売り上げている史上最も売れている音楽アーティストの1人。
カナダ・オンタリオ州西部ロンドンにあるセントジョセフ病院で生まれ、オンタリオ州ストラトフォードで育つ。
両親のJeremy Jack Bieber(ジェレミー・ジャック・ビーバー)とPattie Mallette(パティ・マレット)はビーバーが生まれた時、ともに18歳だったが、生後まもなく別れ、パティは低賃金のオフィスワークを転々とし、低所得者向け住宅でシングルマザーとしてビーバーを育てた。パティの母親と継父がビーバーの育児を手伝った。ビーバーは父親と連絡を取り続けている。
ビーバーには3人の異母兄弟姉妹がおり、4人全員の父親は映画プロデューサーのJeremy Bieber(ジェレミー・ビーバー)である。
ビーバーは、ストラトフォードにある2つのフランス語イマージョン小学校、ジャンヌ・ソーヴ・カトリック・スクールとベッドフォード・パブリック・スクールに通い、7年生と8年生はストラトフォード・ノースウェスタンに通った。成長するにつれて、彼はピアノ、ドラム、ギター、トランペットを習得した。
2007年初頭の12歳の時、ストラトフォードの地元の歌唱コンテストでNe-Yo(ニーヨ)の「So Sick」を披露し、2位に輝いた。パティは、家族や友人が見られるように、このパフォーマンスの動画をYouTubeに投稿した。彼女はビーバーが様々なR&Bの曲のカバーを歌うビデオをアップロードし続け、サイト上でのビーバーの人気は高まっていった。
それらの動画が後のマネージャーとなるScooter Braun(スクーター・ブラウン)に見いだされ、Usher(アッシャー)との合併会社RBMGレコードと契約後、レーベルを探しアイランド・レコードとの契約。当時はJustin Timberlake(ジャスティン・ティンバーレイク)も契約を希望していたが、契約争奪戦に負けてしまったと伝えられ話題となった。
2008年には母親と一緒にアトランタに移り、スクーター・ブラウンは彼のマネージャーとなる。翌2009年、まだデビュー・アルバムを録音している間に最初のシングル「One Time」をラジオにリリース。カナダのホット100では12位にランクインし、ビルボードホット100では17位を記録。カナダとアメリカではプラチナ認定を受けるヒットとなり、デビュー作ながら国際的な成功を収めた。
秋にはデビュー作となる1stEP『My World』をリリース。プロモーションのため多くの番組に出演し、シングルカットされた楽曲のヒットもあってこちらもアメリカではプラチナ認定を受け、カナダとイギリスの両方でダブルプラチナ認定を受けるヒットとなった。
2010年、アルバムからのシングル「Baby」は国際的なヒット曲になり、デビュー・スタジオ・アルバム『My World 2.0』では多くの国で1位を獲得。全米ビルボード200では、1963年のStevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)以来、初登場首位を獲得した最年少記録を更新した。また最もネット検索されたセレブであると発表されその人気は不動のものとなる。
同年、Jaden Smith(ジェイデン・スミス)と共演し映画『ベスト・キッド』主題歌「Never Say Never」をリリース。この曲も国際的なヒットを記録する。9月23日に放送されたCBSの犯罪ドラマ『CSI:科学捜査班』のシーズンプレミアにゲスト出演し俳優デビューも果たし、その後2012年には映画『Men in Black 3』にも出演した。
2011年には『Never Say Never』というタイトルの3D伝記、パートコンサート映画が公開。音楽ドキュメンタリーとしては異例の興行成績を記録する。フォーブスの30歳未満のベストペイドセレブリティリストで2位にランクされ、同年秋にはクリスマスをテーマにした2枚目のスタジオ・アルバム『Under the Mistletoe』をリリース。アルバムの最初のシングル「Mistletoeは、全米ビルボードのホリデー・デジタル・ソング・チャートで1位を獲得し、以降クリスマスの定番曲のひとつとなる。
この頃には既に3枚目のスタジオ・アルバム『Believe』のレコーディングを行っており、翌2012年にリリースされたリードシングル「Boyfriend」は発売1週間で50万を超えるデジタルダウンロードを獲得した。その後6月にアルバムはリリースされると、ダンスポップとR&Bのジャンルの要素を取り入れた音楽的変化が称賛され大ヒット。秋からはアルバムのツアーを行い、2013年まで続く。
同年ドキュメンタリー映画『Believe』の公開を記念し、毎週月曜日に10週間新曲をリリースするというプロモーションを行い、12月にはこれらを収録したコンピレーション・アルバム『Journals』をリリース。2014年にはユニバーサル ミュージックの部門であるアイランド・デフジャム・ミュージック・グループが解散したため、別のユニバーサル ミュージック関連の部門であるデフジャム・レコーディングスに移管され、アイランド・レコードとの契約が終了。フォーブス誌のフォーブス30歳未満の年間ランキングではこの年トップとなる。
2015年にはアルバムからのリードシングル「What Do You Mean?」をリリース。全米ビルボードホット100では初の首位を獲得し、その後「Sorry」「Love Yourself」と3曲連続で首位を獲得。特に「Love Yourself」はEd Sheeran(エド・シーラン)制作と言う話題性もあり、2016年の年間チャートでも1位を獲得する大ヒットを記録した。これらのヒットを受けて4枚目のスタジオ・アルバム『Purpose』全てビルボード200で1位を獲得した。
2017年にはDJ Khaled(DJキャレド)のシングル「I'm the One」やDavid Guetta(デヴィッド・ゲッタ)のシングル「2U」、Luis Fonsi(ルイス・フォンシ)とDaddy Yankee(ダディー・ヤンキー)の「Despacito」に参加し共に大ヒットするなどヒットを連発。この時期はゲスト参加中心の活動となり、自身がリード名義となる楽曲のリリースがなかった。この間、2018年にモデルのHailey Baldwin(ヘイリー・ボールドウィン)と結婚。
2019年にはエド・シーランとのコラボシングル「I Don't Care」をリリースし26か国で1位を獲得。その後カントリー・ミュージックのデュオ、Dan + Shay(ダン+シェイ)とのシングル「10,000 Hours」も大ヒットとなる。
2020年には本格的に活動を再開し、シングル「Yummy」をリリース。2月には7年ぶりに『サタデー・ナイト・ライヴ』に出演しプロモーションを行い、その後すぐに5年ぶりとなる5枚目のスタジオ・アルバム『Changes』をリリース。多くの国で初登場1位を獲得した。同年5月にはCOVID-19パンデミックの影響を受けた最前線の労働者の子供たちの奨学金に充てるためのチャリティ・シングル「Stuck with U」をリリース。Ariana Grande(アリアナ・グランデ)との初コラボも話題となり大ヒットを記録した。
同年秋にはChance the Rapper(チャンス・ザ・ラッパー)とのコラボシングル「Holy」をリリースしロングヒットを記録。2021年にはTikTokとのコラボレーションで「Journals Live」を披露し、2013年のアルバム『Journals』を初めて披露した。これはTikTok初の長時間コンサートイベントとなり、同プラットフォーム史上、単独アーティストのライブストリームとして最も視聴された記録を更新した。
同年、6枚目のスタジオ・アルバム『Justice』がリリースされ、同日リリースとなったシングル「Peaches」は全米ビルボードホット100でリードシングルとしては5年ぶりの首位を獲得。同じ週にアルバムも初登場1位を獲得し、アメリカ、カナダでのデビュー作からの連続1位記録を更新した。さらに8枚の全米ナンバーワン・アルバムを獲得した最年少ソロ・アーティストとなり、エルヴィス・プレスリーが56年間保持していた記録を破った。彼は史上初の男性ソロ・アーティストとして、全米で楽曲とアルバムの両方が初登場1位を獲得した。また、最初の6枚のスタジオ・アルバムがビルボード200で初登場1位を獲得した初の男性アーティストとなった。
そのわずか3週間後、ゴスペルにインスパイアされたEP『Freedom』をリリース。7月にはThe Kid Laroi(ザ・キッド・ラロイ)とのコラボ曲「Stay」が大ヒット。ビルボードホット100で初登場3位を獲得。その後、チャートイン4週目に1位を獲得し、アメリカで8枚目のナンバーワンシングルとなった。「Stay」は彼にとって通算100枚目のチャートインとなり、当時最年少でビルボード・ホット100に100曲をチャートインしたソロアーティストとなった。「Stay」は2022年にApple Musicで世界で最もストリーミングされた曲となった。
2022年2月18日から、カリフォルニア州サンディエゴで4回目のコンサート・ツアー『Justice World Tour』をスタートさせた。このツアーは、当初2020年5月14日にシアトルでスタートし、2020年9月26日にニュージャージー州イーストラザフォードで終了する予定だったが、COVID-19パンデミックの影響で2021年に延期、さらに2022年に延期されていた。しかし3大陸49公演を行った後、ビーバーが2型ラムゼイ・ハント症候群と診断されたためリオデジャネイロで終了し、残りの公演は2023年2月にキャンセルされた。
2023年1月、2021年末までの音楽出版権とレコーディングカタログの株式を、ブラックストーンが支援するヒプノシス・ソングス・ファンドに売却した。売却額は2億ドルを超えた。2025年4月、NetEase Cloud Musicは、ビーバーをプラットフォーム12年の歴史の中で最もストリーミングされた欧米アーティストに選出し、119億回以上のストリーミング再生回数を記録した。