ボン・ジョヴィ

バイオグラフィー

BIOGRAPHY

Bon Jovi / ボン・ジョヴィ

YEARS ACTIVE / 1983-present

MEMBERS /
Jon Bon Jovi
David Bryan
Tico Torres
Phil X
Hugh McDonald

Bon Jovi
出典:Photo: Mark Seliger

Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)のプロフィール

Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)は、トータルセールス1億2,000万枚以上を誇るニュージャージー州セイヤービルのアメリカンロックバンド。

現メンバーはJon Bon Jovi(ジョン・ボン・ジョヴィ)、David Bryan(デヴィッド・ブライアン)、Tico Torres(ティコ・トーレス)、Hugh McDonald(ヒュー・マクドナルド)、Phil X(フィル・X)の5人編成。

Jon Bon Jovi(ジョン・ボン・ジョヴィ)は13歳でバンドを結成し、音楽活動を始めています。16歳の時にDavid Bryan(デヴィッド・ブライアン)と知り合い、共にバンドを結成し始めたのが現在のルーツとなっています。当時はJohn Bongiovi and the Wild Onesというバンド名でした。

そのライブを見に来ていたのがRichie Sambora(リッチー・サンボラ)。その後当時のメンバーに変わって加入し、デビュー時のメンバー5人が揃いました。

1984年、Mercury Recordsと契約し、当時からマネジメントを行っていたDoc McGhee(ドック・マギー)のところで働いていた従業員がVan Halen(ヴァン・ヘイレン)のような名前から取ってBon Joviと呼ぶことを提案した事がきっかけでバンド名をBon Joviとします。

その後Doc McGheeの力を借りて、1stアルバム『Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)』をリリース。日本ではRunawayの邦題「夜明けのランナウェイ」がそのままアルバムタイトルになってリリースされました。翌1985年歌手の麻倉未稀によってカバーされました。

1stアルバムが全世界で350万枚の売上を記録、続く2ndアルバム『7800° Fahrenheit(7800°ファーレンハイト)』も300万枚と早くから世界中で人気バンドとなりましたが、1986年、シングル「You Give Love a Bad Name(邦題:禁じられた愛)」が全米ビルボードホット100で初の1位を獲得し、続くシングル「Livin’ on a Prayer(リヴィン・オン・ア・プレイヤー)」も1位を獲得。これらが収録された3rdアルバム『Slippery When Wet(邦題:ワイルド・イン・ザ・ストリーツ)』が全世界で2800万枚を売り上げ一躍ビッグアーティストに。

その後も勢いは止まらず、7thアルバム『Crush(クラッシュ)』までスタジオ・アルバム4枚、1994年リリースのベストアルバム『Cross Road(クロス・ロード)』が全世界で1000万枚をそれぞれ超える売り上げを記録しています。

1988年リリースの4thアルバム『New Jersey(ニュージャージー)』は全米ビルボード200(アルバムチャート)で4週連続1位、全英チャートでも初の1位を獲得し1800万枚を売り上げていますが、90年代に入るとアメリカでの売り上げが激減していきます。オルタナティブ・ロックが全盛期であったこともそうですが、1980年代に活躍したハードロック・バンドの多くが低迷していた時期でもあり、解散騒動やJon Bon Joviのソロ活動の成功などから1991年頃までバンドは休業状態となります。

1992年、音楽プロデューサーBob Rock(ボブ・ロック)を迎えリリースされた5thアルバム『Keep the Faith(キープ・ザ・フェイス)』は、ビルボード200での最高位が5位、アメリカでの売り上げは200万枚と大きくセールスが減少してしまいますが、世界での人気は健在でトータル1200万枚を売り上げます。アルバムからは「Bed of Roses(ベッド・オブ・ローゼズ)」が唯一ビルボードホット100でトップ10入りを果たし、1994年リリースのベストアルバム『Cross Road(クロス・ロード)』からリリースされたシングル「Always(オールウェイズ)」が全米で7年ぶりにプラチナ認定を受けるヒットとなり、ベストアルバムは全世界で2100万枚のセールスを記録、日本では「TOKYO Road」が収録され初のオリコン1位を獲得しミリオンセールスとなりました。

1994年にはベストアルバムがヒット中のなか6thアルバム『These Days(ジーズ・デイズ)』をリリース。アメリカでの売り上げは更に落ち込んでしまうものの、日本やイギリスを中心に世界的な人気から1000万枚をセールス。以後1995年までツアーを行い、終了後はバンド活動を休止し、再びソロ活動に入ります。

2000年、7thアルバム『Crush(クラッシュ)』をリリース。リードシングルとなった「It’s My Life(イッツ・マイ・ライフ)」はプロデューサーMax Martin(マックス・マーティン)と共作し、世界中で大ヒット。2000年代以降の代表作となります。第43回グラミー賞ではシングル・アルバムが初めてノミネートされました。

2000年以降はCD不況などからセールスは落ち込むものの、安定した人気を誇り2002年リリースの8thアルバム『Bounce(バウンス)』はビルボード200で2位を記録し、初登場でのバンド最高位を記録します。また日本では海外アーティスト初となる5大ドームツアーを開催。

2007年リリースの10thアルバム『Lost Highway(ロスト・ハイウェイ)』をリリースすると、ビルボード200で19年ぶりに1位を獲得。以降スタジオ・アルバムをリリースしワールド・ツアーを開催する事が多くなり、再び全米1位を獲得していくようになります。

1994年にAlec John Such(アレック・ジョン・サッチ)が脱退、以降はHugh McDonald(ヒュー・マクドナルド)がサポートメンバーとして参加し約20年、4人で活動を行ってきましたが、2014年にRichie Samboraが事実上の脱退。その後2016年よりサポートメンバーだったHugh McDonaldとPhil Xが正式なメンバーとなり現在は5人編成になっています。

2017年には2018年度のロックの殿堂に殿堂入りが決まり、翌年4月に記念式典が開かれ、Alec John Such、Richie Samboraが参加し、出身地でもあるニュージャージー州の知事は式典が行われた4月14日をBon Jovi Dayとしています。

2019年には新たなアルバムをリリースし、ツアーをするために準備していましたが、COVID-19パンデミックのためにツアーはキャンセル。アルバム『2020』は予定より5ヶ月遅い10月にリリースされました。

2022年に入りようやくツアー開催を発表。ツアー中のジョン・ボン・ジョヴィのボーカルパフォーマンスの質が話題となったこともあり、ジョンは手術を決断。リハビリを行ってきました。また同年6月5日、アレック・ジョン・サッチが心臓発作により死去。

2023年11月17日、バンドはホリデーをテーマにしたシングル「Christmas Isn’t Christmas」をリリース。これはバンドにとって2020年のアルバム以来初のリリースであり、2024年にリリースされる新しいアルバムに向けた準備でもありました。2024年に入り6月7日にリリース予定の16枚目のアルバム『Forever』からのリードシングルとなるシングル「Legendary」をリリースしています。

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洋楽まっぷ編集部

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