USA for Africaの誕生から「We Are the World」のヒットまで

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洋楽コラム

We Are the World(ウィ・アー・ザ・ワールド)は、1985年3月7日に発売された世界的に有名なチャリティー・シングル。

アメリカで活躍する著名なアーティストがあらゆる垣根を超えて集結した伝説的な曲で、今尚多くの人に聴かれている曲です。

こちらの記事ではUSA for Africaの誕生から「We Are the World」のヒットまでをご紹介致します。

USA for Africaの誕生

USA for Africa

ケン・クレーゲンによる呼びかけ

1984年12月、イギリスの著名なアーティストが集まり結成されたアフリカの飢餓救済のためのプロジェクト「Band Aid(バンド・エイド)」のチャリティー・シングル「Do They Know It’s Christmas?」がリリースされ大ヒットしました。

当時のエチオピアの飢餓は非常に深刻な状態で、この曲がヒットしたことによって世界中からの関心を集めます。

これにインスパイアされ、募金活動家でマネージャーのKen Kragen(ケン・クレーゲン)とともにビジョンの実現に尽力した活動家Harry Belafonte(ハリー・ベラフォンテ)が同様のプロジェクトを作ることを提唱。

ケン・クレーゲンはLionel Richie(ライオネル・リッチー)とKenny Rogers(ケニー・ロジャース)に連絡を取り参加を依頼すると、ハリー・ベラフォンテの活動を支援することに同意。

次にプロジェクトに価値をつけるため、Stevie Wonder(スティーヴィー・ワンダー)に依頼。楽曲制作のためにプロデューサーのQuincy Jones(クインシー・ジョーンズ)が起用され、クインシー・ジョーンズはちょうど共に仕事をしていたMichael Jackson(マイケル・ジャクソン)に声をかけます。

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マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーによる曲作り

マイケル・ジャクソンはライオネル・リッチーに歌うだけではなく楽曲制作に参加したいと伝え、マイケル・ジャクソン、ライオネル・リッチー、スティーヴィー・ワンダーの3人で曲作りが行われる予定でした。

しかし当時の映画「ウーマン・イン・レッド」のための曲作りを行っていたスティーヴィー・ワンダーはプロジェクトに取り組む時間が限られていたため、マイケル・ジャクソンとライオネル・リッチーは自分たちで「We Are the World」を書き始めました。

2人はカリフォルニア州ロサンゼルス、エンシノのヘイヴンハーストにあるマイケルの家で曲作りを開始、歌いやすく、思い出に残る曲が欲しいと思いながら1週間ほどメロディー作りを行っていたそうです。

少しのメロディーを録音し、後日待ちきれなかったマイケル・ジャクソンはドラムやピアノなどの楽器を付け加えたデモ音源を作り切ってしまい、ライオネル・リッチーとクインシー・ジョーンズに聴かせます。

10 We Are The World (Demo) – Michael Jackson – The Ultimate Collection [HD]

このデモ音源は後にマイケル・ジャクソンのコンピレーション・アルバムに収録されています。

この音源を元にライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンが歌詞とメロディーを2時間半以内に完成させたのは1985年1月21日の夜で、曲の最初のレコーディングセッションの1日前でした。

レコーディング

1985年1月22日のレコーディングの最初の夜は、ライオネル・リッチー、マイケル・ジャクソン、スティーヴィー・ワンダー、クインシー・ジョーンズが、ケニー・ロジャースのレコーディングスタジオで作業を開始したため、厳重なセキュリティが確保されていました。

ロサンゼルスのビバリーブールバードにあるスタジオは、ミュージシャンが入ると、ミュージシャン、技術者、ビデオクルー、従者、アシスタント、オーガナイザーでいっぱいでした。

ボーカルガイドがライオネル・リッチーとマイケル・ジャクソンによって録音され、インストルメンタルトラックとミックスされ、招待された各パフォーマーのためにテープに複製されました。

1985年1月24日、クインシー・ジョーンズは2人が作ったボーカルガイドをレコーディングに参加するすべてのアーティストに手紙つきで発送。セキュリティや情報漏洩を考慮し、カセットには番号がつけられ、手紙にはコピー禁止、参加時にカセットは返却してほしい旨が書かれていました。

この時ケン・クレーゲンは、この豪華すぎるメンバーが一堂に会しレコーディングが行える環境について考えていました。ライオネル・リッチーはメンバーの立ち位置を考え、1985年1月28日にハリウッドのA&Mレコーディングスタジオで開催されました。

マイケル・ジャクソンはいち早くスタジオに来てソロセクションとボーカルコーラスを録音。この日はアメリカン・ミュージック・アワードが行われていたため、終了後参加するメンバーはスタジオに直行し、次々と到着。そんな中招待されていたPrince(プリンス)は来ませんでしたが、後にアルバム「We Are the World」に楽曲を提供しました。Eddie Murphy(エディ・マーフィ)も招待を受けていましたが、スケジュールの都合で参加しませんでした。

全部で45人以上のアメリカのトップミュージシャンがレコーディングに参加し、ソロぞれのパートを録音し始めました。その数時間後、スティーヴィー・ワンダーがスワヒリ語を使用したいと提案すると意見がぶつかってしまい激しい議論が続き、数人のアーティストも提案を拒否。Waylon Jennings(ウェイロン・ジェニングス)はその場をいったん立ち去ってしまうほどでした。結局この案は削除されます。

朝の早い時間に、スティーヴィー・ワンダーのゲストである2人のエチオピアの女性がレコーディングスタジオに連れてこられました。集められた収益の一部は、最近のエチオピアの飢饉の影響を受けた人々を支援するために使われることが正式に決定されました。彼女たちは国を代表して歌手に感謝し、主に深夜に行われていたレコーディングは朝までにすべてが終了しました。

プロジェクトは「United Support of Artists」のイニシャルとアメリカ合衆国の略称とのダブルミーニングでUSA for Africa(USAフォー・アフリカ)と名付けられました。

We Are the Worldのリリース

1985年3月7日、「We Are the World」は、7インチと12インチの両方のフォーマットでシングルとしてリリースされました。

全米ビルボードホット100では21位で初登場し、その後わずか4週目で1位を獲得。1984年当時の記録では、The Beatles(ザ・ビートルズ)「Let It Be(レット・イット・ビー)」以来、15年ぶりにリリースから2週間以内にビルボードのトップ5に入ったシングルになりました。

セールス面ではリリースから3日以内で80万枚を出荷し、1985年最大のセールスを記録。最終的にはそれだけにとどまらず、80年代に最も売れたシングルとなり、歴史上最も売れたアメリカのポップ・シングル・レコードになりました。推定世界売上高は2000万と言われています。

USA for Africa参加メンバー

プロデューサー

Quincy Jones
(クインシー・ジョーンズ)

リード・ボーカル(歌唱順)

Lionel Richie
(ライオネル・リッチー)
Stevie Wonder
(スティーヴィー・ワンダー)
Paul Simon
(ポール・サイモン)
Kenny Rogers
(ケニー・ロジャース)
James Ingram
(ジェームス・イングラム)
Tina Turner
(ティナ・ターナー)
Billy Joel
(ビリー・ジョエル)
Michael Jackson
(マイケル・ジャクソン)
Diana Ross
(ダイアナ・ロス)
Dionne Warwick
(ディオンヌ・ワーウィック)
Willie Nelson
(ウィリー・ネルソン)
Al Jarreau
(アル・ジャロウ)
Bruce Springsteen
(ブルース・スプリングスティーン)
Kenny Loggins
(ケニー・ロギンス)
Steve Perry
(スティーヴ・ペリー)
Daryl Hall
(ダリル・ホール)
Huey Lewis
(ヒューイ・ルイス)
Cyndi Lauper
(シンディ・ローパー)
Kim Carnes
(キム・カーンズ)
Bob Dylan
(ボブ・ディラン)
Ray Charles
(レイ・チャールズ)

コーラス(アルファベット順)

Dan Aykroyd
(ダン・エイクロイド)
Harry Belafonte
(ハリー・ベラフォンテ)
Lindsey Buckingham
(リンジー・バッキンガム)
Mario Cipollina
(マリオ・チポリーナ)
Johnny Colla
(ジョニー・コーラ)
Sheila E.
(シーラ・E)
Bob Geldof
(ボブ・ゲルドフ)
Bill Gibson
(ビル・ギブソン)
Chris Hayes
(クリス・ヘイズ)
Sean Hopper
(シーン・ホッパー)
Jackie Jackson
(ジャッキー・ジャクソン)
La Toya Jackson
(ラトーヤ・ジャクソン)
Marlon Jackson
(マーロン・ジャクソン)
Randy Jackson
(ランディ・ジャクソン)
Tito Jackson
(ティト・ジャクソン)
Waylon Jennings
(ウェイロン・ジェニングス)
Bette Midler
(ベット・ミドラー)
John Oates
(ジョン・オーツ)
Jeffrey Osborne
(ジェフリー・オズボーン)
The Pointer Sisters
(ポインター・シスターズ)
Smokey Robinson
(スモーキー・ロビンソン)

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WRITER

酒井裕紀

洋楽まっぷ管理者。米・英の音楽チャートなどのデータを好み、70年代から最新の洋楽までヒット曲なら幅広い知識を持つ。時代毎の良さがある洋楽の魅力を少しでもわかりやすくご紹介できればと思います。

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