【私と洋楽】あなたにとって洋楽とはどんな存在ですか?【Vol.2】

音楽は人それぞれ聴くようになったきっかけ、ルーツがあります。

邦楽の場合は当たり前に耳にする機会がありますが、洋楽の世界に踏み込むには明確なルーツをお持ちの方が多数おられます。

第2弾となる『私と洋楽』では外部ライターである『ISAO様』のルーツを深掘り。よろしければ是非お付き合いください。

【私と洋楽】Surfin' USA。ISAO

そういえば、久しく、「流行歌」という言葉を耳にしたことがありません。中学・高校時代、大人への憧れを、まずは流行りの音楽に求めたのは自然な成り行きでした。昭和30年代、あるいは1955~1972年と云えば、時代は戦後の高度成長期、仲間との別れを惜しんで舟木一夫の「高校三年生(1963)」を歌いました。そうです、彼は西郷輝彦、橋幸夫とともに歌謡界の「御三家」の一人として一世を風靡しました。

時代は「東京オリンピック(1964)」から「大阪万博(1970)」へ、正に高度成長期の真っただ中、急速なテレビ普及で「Sunset 77(1958)」、「Rawhide(1959)」、「Route 66(1960~1964)」、「Twilight Zone(1961~1967)」等のアメリカTVシリーズが全国津々浦々の家庭に押し寄せたのでした。これを背景に、英米の新しい音楽が大量に流入、日本の大衆音楽は一気に多様化され、あのうら淋しい形容が似合う「流行歌」という言葉は終焉を迎えました。それは確か、「高校三年生」が流行った頃でした。

中学に入学、新しい科目「英語English」の先生はきれいな女の先生でした。先生が魅力的だったのか、「英語」の授業は楽しく、楽しければ余計に勉強するようになります。同じころ、アメリカTVシリーズの大洪水が押し寄せ、それらを通じて入り込んだアメリカ大衆文化がカッコ良く見えました。ラジオからはBeatlesの曲、少し遅れてBeach Boysの曲が流れ始めます。1963年(?)、シングル盤が330円か340円でしたか、Beatlesの「Please Please Me」を買おうか、Beach Boysの「Surfin’USA」を買おうか大いに迷って、結局は「Surfin’USA」を買いました。大げさに言えば、第二次大戦に勝利した、当時のアメリカ文化の明るさ、悪く言えばノーテンキさ、特にカリフォルニア(西海岸)文化にかぶれていたのでしょう。MacDonald(今で云うならばStarbucks)が現れたのもこの頃でした。

・生涯で一番好きな曲

The Beach Boys - Surfin' U.S.A. - YouTube

※余談ですが、言語にはリズムがあります。「日本語」には古代、万葉の昔から「五七調・七五調」と言われる日本人の好きなリズムがあるように、「英語」にも独特のリズムがあります。英語の文を理解しているかどうか…、音読したらすぐ判ります。「リズム」と「メロディー」=「音楽」、「語学」は正に「音楽」、「英語」は正に「音楽(洋楽)」です。メロディーに乗せて語られる物語は、頭の中に入ってきやすく、言葉を覚えやすいメリットがあります。中世の日本人が琵琶法師の「平家物語」で識字率が格段に上がったように、「英語」にも「音楽(洋楽)」が必要です。

高校生になり、中学以来の、妙に大人びた友人がBeatlesの東京公演を往復はがきで応募し、当選しました。しかし残念ながら、チケット代に加え、往復の旅費・宿泊代を払えず断念。彼は熱狂的なBeatlesファンでありさぞ悔しかったことでしょう。それほどまでに熱狂できる彼をうらやましく思いながらも、私はアメリカ音楽にはまって行きました。世の中には、彼らを追いかけるように、自作の曲を、エレキを抱えて歌うグループ・サウンドが次々誕生しては消えて行きました。

中学/高校の旅行と云えば、バスの中、皆で歌うための歌集作りが問題でした。BeatlesやBeach Boysのファンは(歌えない)少数派、依って、歌集に洋楽が載るはずもなく、代わりにグループ・サウンドの楽曲が載っていました。結果、歌集には「御三家」を始めとする歌謡曲派とグループ・サウンド派及び関西フォーク派の楽曲が載っていたように思います。言うまでもなく、グループ・サウンド派は洋楽の中でも、Beatlesに代表されるポップス/ロックで育ったグループと関西フォーク派はS & G、PPM、J.バエズ、B.ディランに代表されるフォークで育ったグループでした。民族派(歌謡曲派) vs 洋楽傀儡派とでも言うべき様相を呈していました。大阪港から宮崎に向かう関西汽船のデッキ、民族派、洋楽傀儡派の歌声が入り乱れることになります。日本の大衆音楽は一気に多品種化・多様化が進んだのです。マイナーな洋楽派であった我々はワイルド・ワンズの「思い出の渚」を歌ったのを覚えています。

※また余談です。「ワイルド・ワンズ」の名付け親は加山雄三、マーロン・ブランド主演の映画「乱暴者 The Wild One」からの借用で、映画は後の「Hells Angel」につながる暴走族の話。お金持ちのドラ息子たち、一見ひ弱な湘南大衆文化とは大きなギャップがありましたが、海のない兵庫県伊丹市の高校生には大いに魅力的でした。フォークそしてフォーク・ロックの影響を受けたこの曲は大ヒットとなりました。因みに、私が初めてギターを弾いたのは加山雄三の「君といつまでも」でした。彼は後にいう所のシンガー・ソングライターの走りでした。

ほとんど聞くだけの洋楽派に衝撃を与えたのがVenturesでした。「エレキブーム」です。インストで、歌詞がないのですから、楽器が全て。音楽を「聞いて楽しむもの」から「演奏して楽しむもの」に革命的変化を日本人にもたらしました。

Bob Dylanは偉大なソングライターですが、はっきり言って歌が下手です。まぁ上手いのはハーモニカぐらいか…、それ故か、彼(の歌う)レコードは1枚も買ったことがありません。1965年に発表した「Mr.Tambourine Man」は歌詞がやたらと長く、比較的小人数の聴衆を前に、韻を踏むためだけに言葉を並べた感もありますが、彼の最高傑作の一つであり、私の大好きな曲です。この録音に数週間遅れてByrdsがこの曲をカバー、ラジオ放送に合わせたものと想像しますが、曲の長さを半分に短縮、テンポを遅く、Roger McGuinnの12弦ギターによるイントロを加えて発表、全米及び全英シングルチャート第1位を獲得しました。Dylan本人が歌うよりもByrdsの「Mr.Tambourine Man」の方が良く出来ており、音楽の方向性がより明確です。Animalsの「The House Of Rising Sun」と共に、音楽シーンをフォーク・ロックひいてはカントリーロックに向かわせる分岐器(ポイント)の役割を果たしました。

1967年、Dylanはモーターサイクル事故を契機に、ニューヨーク郊外ウッドストックにThe Band(元The Hawks)のメンバーと共に隠遁、家:「Big Pink」地下室で行われたセッションは100曲以上だったと云います。ロックにカントリー、フォーク、ブルースといったルーツ・ミュージックの要素を反映させた音楽性は高く評価され、多くのミュージシャンに大きな影響を与えました。

西海岸に目を転じると、Byrdsがフォーク・ロックというジャンルを開き、1966年、「Eight Miles High」を発表、これが最初のサイケデリック・ロックとなります。1968年、「Sweet Heart Of The Rodeo」が最初のカントリーロックとなります。もう一つ、1968年、Cleedence Clearwater Revival(CCR)がサンフランシスコに誕生、西海岸らしくない、アクの強いサウンドで、サザンロック、スワンプロックの先駆者と呼ばれます。1970年になると、レコード プロデューサー、David Geffen(1943 - )はロサンゼルスにAsylum Recordを設立、Crosby, Stills & Nash を手始めに、Jackson Browne, J.D.Souther, Eagles等の新人を世に出し、Linda RonstadtやJoni Mitchelを大スターにのし上げました。
 
1960年代後半から1970年代初めにかけて、アメリカの音楽シーンの中で、ロックにカントリーの要素を加えた、私の言葉で言う「カントリーぽぃロック」、当時、日本では「ウエストコースト・サウンド」と呼ばれた彼らの全盛時代でした。個人的には、当時高校2年~3年生の時に「Mr.Tambourine Man」に出会い、大学の時にJackson Browneの「Late For The Sky」、そしてEaglesの「Take It Easy」でピークに達したように思います。数年後、彼らの最高傑作「Hotel California」には、残念ながら、もう「カントリーらしさ、ぽさ」はありませんでした。

・生涯において分岐点となった曲

The Byrds "Mr. Tambourine Man" on The Ed Sullivan Show - YouTube

戦後まもなく、アメリカのTV西部劇は、苦難を乗り越えて新天地を目指す方向性を、挫折を経験していないアメリカの明るさを体現、大いに魅力的そしてカッコよく映りました。同じ戦勝国でも、ヨーロッパは疲弊、アメリカだけが無傷でその明るい文化を世界に拡散します。しかし、その勢いで介入したベトナム戦争では1975年、サイゴン陥落という大きな挫折を味あうことになります。

この時代の流れは、ロックンロール(Chuck BerryあるいはElvisのロカビリー以降)→ British Invasion(英国(再定義されたBlues)のアメリカ侵略) → 反戦/ヒッピー/反体制/アンダーグラウンド、フォーク/ブルース/カントリー(Route Music)・ロック、具体的にはB.Dylan、Byrds、CCR、→ Woodstock、Asylum Record設立 → The Band、Jacson Brown、Eagles…に至る音楽の変遷でした。

海の向こうのアメリカ音楽の変遷と同時に、その影響を受けて日本の音楽が多品種・多様化し、奇しくも 、私は自分の中学以来の学生時代、気恥ずかしいですが…、多感な時代を正にアメリカ音楽の変遷とシンクロして過ごした、まさに同時代でした。それが私の好きな「洋楽」でした。

就職して、音楽は単なる余興、「洋楽」は単に聴いて楽しむもので、当時関西に住んでいた私は米軍向けのFEN(Far East Network)を、AM放送を聴くことが出来ず、短波放送で「American Country Count Down」という番組を聴いたものです。そんな中、東京からの転勤者に、極めて稀な、私と似た「洋楽」を語る人間が現れ、その彼は大学時代からペダル・スチールを弾いていたと云います。たちまちに意気投合、その後数年を経て夫々が海外赴任を経験、今度は東京で再会することになります。

デュオの真似事から始まり(2007年7月)、しばらくして4人のバンド(K.A.Y.A. Band)となり、「洋楽+α」で今日に至っています。そして、いつも最後はBeach Boysの「Surfin' USA」で終わります。
追記:そうそう、大事なことを忘れていました。先日、カラオケで「高校三年生」を歌う機会あり、参加した全員が、3番までほとんど歌詞を覚えていました。

ISAO

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・どういった経緯で洋楽を聴くようになったのか
・邦楽よりも洋楽を好む理由
・生涯で一番好きな曲の紹介
・生涯において分岐点となった曲の紹介

などを是非おしえてください。頂いた内容はコラムとして発信させて頂きます。

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以上、【私と洋楽 Vol.2】でした。

シリーズ【私と洋楽】
【私と洋楽】あなたにとって洋楽とはどんな存在ですか?【Vol.1】

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Writer この記事を書いた人

1920年代以来、ハリウッド映画、ジャズ、ブロードウェイと「Tin Pan Alley」音楽の時代でしたが、ラジオ放送開始と共にポピュラー音楽の時代が到来、後にはメンフィスに生まれたロックンロールを介して、米国は長らく世界のサブカルチャー(大衆娯楽文化)を支配して来ました。…が、ビートルズを機に「British Invasion(英国の侵略)」が始まり、世界に革命的な衝撃を与えました。このような大きな節目、歴史的転換期に遭遇したISAO(洋楽まっぷ専属ライター)が思いついたことを、気の向いたままに、深く掘り下げていきます。