プロフィール

Avril Lavigne(アヴリル・ラヴィーン)のプロフィール、歌詞一覧、アルバム・シングルを網羅したディスコグラフィーをご紹介。最新の洋楽はここからチェック。
Avril Lavigne(アヴリル・ラヴィーン)は、カナダ・オンタリオ州ベルビルの出身のシンガー、ソングライター、女優。本名はAvril Ramona Lavigne(アヴリル・ラモーナ・ラヴィーン)。
名前の「アヴリル」は父がフランス語で「4月」を意味する単語から名付けた。父方の祖父Maurice Yves Lavigne(モーリス・イヴ・ラヴィーン)はケベック州サン・ジェローム出身で、カナダ空軍に所属し、1953年にフランス出身のLucie Dzierzbicki(ルシー・ジェルズビツキ)と結婚した。彼らの息子で父のJean-Claude Lavigne(ジャン=クロード・ラヴィーン)は1954年にフランス・ロレーヌ地方の空軍基地で生まれ、その後オンタリオに移住し、1975年にJudith-Rosanne "Judy" Loshaw(ジュディス・ロザンヌ・"ジュディ"・ロショー)と結婚した。
アヴリルは2歳のときに教会帰りの車内で「Jesus Loves Me」を歌い、その歌唱力を両親に認められた。兄Matthew(マシュー)と妹Michelle(ミシェル)がいて、よく歌う彼女をからかっていたという。
5歳のときに家族は人口約5,000人のナパニーに移住した。父は彼女の音楽的才能を支援するため、楽器を揃え、地下室をスタジオに改装した。父自身も教会でベースを弾いていた。14歳の頃にはカラオケに連れて行ってもらい、本格的に音楽に取り組むようになった。アヴリルは地方のフェアでGarth Brooks(ガース・ブルックス)やShania Twain(シャナイア・トゥエイン)らの曲を歌い、自作曲も書き始めた。初めての曲は「Can't Stop Thinking About You」という恋をテーマにしたものだった。また高校時代には男子アイスホッケーリーグで右ウィングとして活躍し、2度MVPに選ばれた。
1999年、アヴリル・ラヴィーンはラジオのコンテストに勝ち、シャナイア・トゥエインのオタワ公演で2万人の前で共演した。この時ラヴィーンは「有名な歌手になりたい」と語った。同年、地元のフォーク歌手Stephen Medd(スティーヴン・メッド)に見出され、アルバム『Quinte Spirit』に参加し、その後の作品でも歌声を提供した。
同年12月、書店でカントリー曲を歌っていたところをマネージャーのCliff Fabri(クリフ・ファブリ)に発見され、業界関係者へ映像が送られた。その後、カナダのマネジメント会社ネットワークの共同創設者Mark Jowett(マーク・ジョウェット)の紹介でニューヨークのプロデューサー、Peter Zizzo(ピーター・ジッツォ)と制作を行い、曲「Why」を書いた。この滞在中にアリスタ・レコードの関係者に注目されることとなった。
2000年11月、アリスタの責任者Antonio "L.A." Reid(アントニオ・L.A.リード)がラヴィーンの歌を聴き、15分のオーディションで即座に契約を決定した。契約は2枚のアルバムで125万ドル、出版権で90万ドルの前金という大規模なものであった。ラヴィーンは高校ではスケータースタイルの仲間と過ごしていたが、学校生活には馴染めず、契約を機に退学して音楽に専念した。バンドメンバーはカナダのパンクロックシーンから選ばれ、彼女の個性に合う若手が起用された。
デビュー・アルバム制作は、A&RのJoshua Sarubin(ジョシュア・サルビン)が担当した。当初はニューヨークで複数のソングライターと作業したが、声やスタイルに合わず苦戦した。しかし2001年5月、ロサンゼルスでプロダクションチーム「マトリックス」と制作した「Complicated」によって大きな転機を迎えた。その後もマトリックスやClif Magness(クリフ・マグネス)と共作し、2002年1月にアルバム『Let Go』が完成した。
同年6月に『Let Go』は全米で発売され、ビルボード200で2位、オーストラリア・カナダ・イギリスでは1位を獲得。17歳のラヴィーンは当時最年少で全英アルバムチャート1位を獲得した女性ソロ歌手となった。2002年末までにアメリカで400万枚を売り上げ、その年の最も売れた女性アーティストとなり、デビュー作としても最大のヒットを記録した。2003年にはカナダで100万枚を超えダイアモンド認定、世界累計では2009年までに1,600万枚を超えた。
シングル「Complicated」はオーストラリア1位、ビルボードホット100で2位を記録し、2002年を代表するヒットとなった。その後「Sk8er Boi」と「I'm with You」も全米トップ10入りし、デビュー・アルバムから3曲連続でトップ10入りした史上2人目のアーティストとなった。
受賞歴としては、2002年MTVビデオ・ミュージック・アワードで最優秀新人賞、2003年ジュノー賞で4部門受賞、ワールド・ミュージック・アワードで「カナダのベストセラー歌手」、さらにグラミー賞8部門にノミネートされた。また2002年にはTreble Charger(トレブル・チャージャー)のミュージック・ビデオにカメオ出演し、2003年にはローリングストーン誌の表紙を飾り、MTVのMetallica(メタリカ)特集で「Fuel」を披露した。さらに初のヘッドライニング・ツアー「Try to Shut Me Up Tour」ではGreen Day(グリーン・デイ)の「Basket Case」をカバーした。
2枚目のスタジオ・アルバム『Under My Skin』は2004年5月に発売され、オーストラリア、カナダ、日本、イギリス、アメリカで初登場1位を獲得した。カナダで5×プラチナ認定を受け、全世界で約1,000万枚、アメリカだけで320万枚を売り上げた。楽曲の多くはシンガーソングライターのChantal Kreviazuk(シャンタル・クレヴィアズク)と共作し、その夫Raine Maida(レイン・メイダ)が共同プロデュースを務めた。ラヴィーンは「全曲が自身の体験に基づいており感情が込められている」と語った。シングル「Don't Tell Me」はイギリスとカナダでトップ5、「My Happy Ending」はイギリスとオーストラリアでトップ5、米国ではトップ10入りしてラジオチャート1位を記録した。一方「Nobody's Home」は米国でトップ40入りせず、成績は中程度であった。
2004年前半にはアコースティック形式の『Live and By Surprise』ツアーを北米で行い、9月からは1年間に及ぶ初のワールド・ツアー『Bonez Tour』を開催した。2004年にワールド・ミュージック・アワードで2部門、2005年にはジュノー賞で3部門を受賞し、「アーティスト・オブ・ザ・イヤー」にも選ばれた。また、ニコロデオン・キッズ・チョイス・アワードでは「お気に入り女性歌手賞」を受賞した。さらに、Kelly Clarkson(ケリー・クラークソン)に提供した楽曲「Breakaway」が2004年の映画『プリティ・プリンセス2』の主題歌となり、後にクラークソンのアルバム『Breakaway』のタイトル曲となった。同年9月には「Fashion Rocks」でJohn Rzeznik(ジョン・レズニック)と共にGoo Goo Dolls(グー・グー・ドールズ)の「Iris」を披露し、10月には雑誌『Maxim』の表紙を飾った。さらに、映画『スポンジ・ボブ/スクエアパンツ ザ・ムービー』のテーマ曲をButch Walker(ブッチ・ウォーカー)と制作した。
2006年、トリノ冬季五輪閉会式でカナダ代表として歌唱し、映画『エラゴン』のサウンドトラックに提供した「Keep Holding On」がシングルとして発売された。
2007年4月、3枚目のスタジオ・アルバム『The Best Damn Thing』を発表し、全米ビルボード200で初登場1位を獲得、米国内で200万枚以上を売り上げた。リードシングル「Girlfriend」はビルボードホット100で自身初の1位を記録し、オーストラリア、カナダ、日本でも首位、イギリスやフランスでは2位となった。8言語で録音され、2007年に世界で最もダウンロードされた楽曲とされ、730万ダウンロードを達成した。他にも「When You're Gone」が各国でヒット、「Hot」もカナダやオーストラリアで好成績を残した。
2007年にはワールド・ミュージック・アワード2部門、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード2部門を受賞、フォーブス誌「25歳以下の高収入アーティスト」で8位(推定年収1200万ドル)に選ばれた。2008年にはワールド・ツアー『The Best Damn World Tour』を行い、マレーシア公演ではイスラム政党から「セクシーすぎる」と批判を受けたが政府により承認された。
2010年、ディズニー映画『アリス・イン・ワンダーランド』のサウンドトラックに「Alice」を提供し、バンクーバー冬季五輪閉会式でも歌唱。Rihanna(リアーナ)が楽曲「Cheers (Drink to That)」で「I'm with You」をサンプリングし、ラヴィーンもミュージック・ビデオに出演した。また、Miranda Cosgrove(ミランダ・コスグローヴ)に提供した「Dancing Crazy」がシングル化された。
4枚目のスタジオ・アルバム『Goodbye Lullaby』は2008年から制作され、2011年3月に発売された。先行シングル「What the Hell」は2010年末に公開。アルバムは彼女の人生経験を題材にし、従来より落ち着いた作風となった。リリースはレーベルの事情で遅れたが、ジュノー賞の「年間アルバム賞」と「ポップアルバム賞」にノミネートされた。米国で50万枚以上を売り上げ、RIAAゴールド認定を受けた。
『Goodbye Lullaby』のリリースから3か月後、アヴリル・ラヴィーンは5枚目のアルバム制作に着手したことを発表し、前作とは正反対で「ポップで楽しい作品」になると説明した。2011年末にはL.A.リードが率いるエピック・レコードへ移籍を確認。2012年には日本アニメ映画『ONE PIECE FILM Z』のためにNickelback(ニッケルバック)のカバー「How You Remind Me」とJoan Jett(ジョーン・ジェット)のカバー「Bad Reputation」を提供した。
2013年4月、リードシングル「Here's to Never Growing Up」を発表し、ビルボードホット100、オーストラリア、イギリスでトップ20入り。続いて「Rock n Roll」や、当時の夫Chad Kroeger(チャド・クルーガー)との共演した「Let Me Go」をリリース。同年11月にアルバム『Avril Lavigne』を発表し、カナダでゴールド認定、ジュノー賞ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーにノミネートされた。4枚目のシングル「Hello Kitty」(2014年4月)はミュージック・ビデオが人種差別的と批判を受けたが、ラヴィーンは否定した。
2014年にはBackstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)のツアーに帯同し、サマーソニック(東京)にも出演。2015年2月にはアルバム5枚目のシングル「Give You What You Like」のミュージック・ビデオを公開し、同曲はテレビ映画『Babysitter's Black Book』に使用された。アルバムは米国で50万枚以上を売り上げ、RIAAゴールド認定を受けた。
2015年4月にはスペシャルオリンピックス支援のための新曲「Fly」を発表。2017年にはONE OK ROCKのアルバム『Ambitions』収録曲「Listen」に参加し、同年9月にはGrey(グレイ)のEP『Chameleon』収録の「Wings Clipped」にも参加した。また同時期、ラヴィーンはピープル誌に対し、2014年に30歳の誕生日を迎えた後にライム病と診断されたことを明かした。同月、ビルボード誌のインタビューで、ラヴィーンは回復過程にあり、この病気への認知度を高めたいと語った。
2019年2月15日に6枚目のスタジオ・アルバム『Head Above Water』をリリースした。アルバムはビルボード200で13位、カナダ・イギリス・日本など複数国でトップ10入りを果たした。リード曲「Head Above Water」は彼女のライム病との闘いをテーマにしており、ツアーも開催されたが欧州公演はコロナ禍で延期された。2020年には「Warrior」を再録し、COVID-19救済支援のために「We Are Warriors」として発表した。
2021年、Mod Sun(モッド・サン)とのコラボ曲「Flames」を発表し、同年にはWillow Smith(ウィロー・スミス)の楽曲「Grow」にTravis Barker(トラヴィス・バーカー)と共に参加。11月にバーカーのレーベルであるDTAレコードと契約し、新曲「Bite Me」をリリース。2022年2月25日には7枚目のスタジオ・アルバム『Love Sux』を発表し、ビルボード200で9位を記録した。同年6月にはデビュー作『Let Go』の20周年版をリリース。さらにカントリー界のシャナイア・トゥエインへのトリビュートで「No One Needs to Know」を披露し好評を得た。11月にはYungblud(ヤングブラッド)とのコラボ曲「I'm a Mess」をリリースした。
2023年にはAll Time Low(オール・タイム・ロウ)とのコラボ「Fake as Hell」を発表し、ナッシュビルのCMAフェスでMiranda Lambert(ミランダ・ランバート)と共演した。2024年には初のベスト・アルバム『Greatest Hits』をリリースし、同年5月から9月にかけて『Greatest Hits Tour』を開催。6月にはグラストンベリー・フェスティバルに初出演し、大観衆を集めた。同年10月にはNate Smith(ネイト・スミス)とのコラボ曲「Can You Die from a Broken Heart」が彼のアルバムに収録された。
2025年にはBilly Idol(ビリー・アイドル)のアルバム収録曲「77」に参加し、テレビ番組でも共演。5月にはSimple Plan(シンプル・プラン)との新曲「Young & Dumb」をリリースし、2002~2003年の初ツアーでの共演が楽曲の着想源となった。