クリスティーナ・アギレラ − 壮絶な家庭内暴力が成功のきっかけに【人生いろいろ − 生い立ちが複雑すぎる洋楽アーティストたちVol.1】

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洋楽コラム

クリスティーナ・アギレラ − 壮絶な家庭内暴力が成功のきっかけに【人生いろいろ − 生い立ちが複雑すぎる洋楽アーティストたちVol.1】

「Genie in a Bottle(ジニー・イン・ア・ボトル)」「Beautiful(ビューティフル)」などの大ヒット曲を飛ばし、日本でも知名度バツグンのアーティスト、Christina Aguilera(クリスティーナ・アギレラ)。実は彼女の幼少期が壮絶だったことをご存知ですか?

アゴから血がしたたるほど殴られた幼少期

クリスティーナの幼少期は、壮絶そのもの。軍人の父親が日常的に母親に暴力をふるい、体中にアザやケガが絶えなかった、とのこと。また母親だけではなく、クリスティーナ自身も暴力の犠牲者に。彼女がまだ4歳だったころ、昼寝をしていた父親のそばで騒いだという理由で、アゴから血がしたたるほどに殴られたこともあったのだとか。

Daddy, don’t you understand the damage you have done
To you it’s just a memory, but for me it still lives on

パパ どれだけの傷を残したかわかってないでしょ
あなたには過去のことになってるけど
私の中で その傷はいまも疼いているのよ

2002年にリリースしたアルバム「Stripped(ストリップト)」に収録された「I’m OK(アイム・オーケー)」の中で、クリスティーナは、この幼少期の体験がいまだに彼女の人生に暗い影をおとしていることを赤裸々に告白しています。

Christina Aguilera – I’m OK – YouTube

「アイム・オーケー」のパフォーマンス動画

母の離婚で人生が変わる

クリスティーナが6歳のころ、父親の虐待に耐えかねた母が家をでてふたりは離婚。母親はクリスティーナと妹をつれて実家に帰ります。ようやく暴力におびえることのない平和な生活を手にいれた彼女は、祖母が買ってくれるレコードに夢中になり、歌を練習するようにもなりました。そして、幼いながらに固く心に誓ったのです。「精神的にも経済的にも絶対にオトコには頼りたくない…そのためにはたくさん働いて、自立しなければ…」

もともと才能のあった彼女は、すぐに近所で「大きな声で歌う小さな女の子」として有名になります。そして、8歳になるころにはすでにオーディションを受けたり、ショーで歌うまでに…。かなり早熟な女の子だったことがわかります。

https://twitter.com/JACKERSROCYRUS/status/1334437261727981574?s=20

「ミッキー・マウス・クラブ」のころのクリスティーナ(右の中段)

そして彼女の人生が大きく変わったのが1991年。アメリカで絶大な人気を誇るディスニーの子供向け番組「ミッキー・マウス・クラブ」のオーディションを受けたときのことです。2年後に番組に採用されたクリスティーナは、ブリトニー・スピアーズ、ジャスティン・ティンバーレイク、ライアン・ゴスリング等、そうそうたるメンバーの同期として、一世を風靡。その後、番組を卒業して数年後にリリースした、ファースト・アルバム「クリスティーナ・アギレラ」が大ヒットし、押しも押されぬ大スターへの階段をかけあがることになったのです。

悲しみを優しさに変えて

アーティストとして20年以上にわたり、輝かしい実績を残してきたクリスティーナ・アギレラ。同時に家庭内暴力に苦しむ人々や、LGBTQの人々へ惜しみないサポートをしてきたことでも有名です。

「(虐待された人に対して)なぜ彼女は逃げなかったの?という人がいる。でも肉体的な暴力には必ず精神的な虐待もついてまわるもの」とのべて、家庭内暴力から逃げることの難しさへの理解を求めたクリスティーナ。

過去の悲しい体験をバネにハリウッドでのし上り、今では苦しむ人々に助けの手を差しのべるほどの素晴らしいアーティストになった彼女から、これからも目が離せません。

WRITER

1984年長崎県生まれ。十代の頃から海外セレブが大好きで趣味はハリウッドセレブ情報収集。2011年バブルに沸くシンガポールに移住し、昼は会社員、夜と週末は動画ブロガー及びパーティーガールとして活動。2021年リトアニアに移住し、日夜ハリウッドセレブ情報の収集にいそしむ。

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