マックス・マーティン 全米1位獲得曲数歴代1位の世界的プロデューサーが世に送り出した洋楽ヒット曲とは?

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洋楽コラム

洋楽をお好きな方でMax Martin(マックス・マーティン)という名前を聞いた事がある方も多いかと思います。

1990年代からヒットメーカーとして世界的な知名度となり、現在でもヒット曲に参加し続けている名プロデューサーの一人です。

しかしどれだけの楽曲をプロデュースしてきたのかまでは知る人は少ないかと思うので、彼のプロフィールと共にまとめていきたいと思います。

Max Martin(マックス・マーティン)のプロフィール

Max Martin

Max Martin(マックス・マーティン)は、スウェーデン、ストックホルム出身のソングライター、音楽プロデューサー。本名はMartin Karl Sandberg(マーティン・カール・サンドバーグ)。
スウェーデンの公立音楽教育の学生時代、様々なバンドで活動を行い、1985年にはフロリダ出身の4ピースメタルバンド「It’s Alive(イッツ・アライヴ)」に加入。その後は高校を中退し、バンド活動の傍らでMartin White(マーティン・ホワイト)の名前で音楽活動を行っていきます。

1988年、彼らは全国ロック選手権に参加し、キプロスのディスコで社内バンドとして演奏しました。その後Megarock RecordsのDave Constable(デイヴ・コンスタブル)が。デモレコードを作るように提案したため、制作を開始。後のデビューアルバムはもともと1000枚プレスし、英国のMetal Forces誌では無料のカバーテープとして放映されました。
そしてBMGの系列会社であるDenniz Pop(デニス・ポップ)のレーベル「Cheiron Records」のレコード契約を獲得。2枚目のEarthquake Visionsを録音した後、1994年にKingdom Comeを支援して3枚のシングルをリリースし、ヨーロッパツアーを行います。 Earthquake Visionsは、最終的には30ヶ国でリリースしたにもかかわらず、売り上げは伸びませんでした。

Max Martin(マックス・マーティン)はその後、Denniz Pop(デニス・ポップ)との曲を共同作業し始めました。若手ロッカーのポップソングを書く才能を認めたDenniz Pop(デニス・ポップ)は、Max Martin(マックス・マーティン)と名前を変更し、指導者となります。

プロデュース業を学んでいき、1995年に「It’s Alive(イッツ・アライヴ)」を脱退。ほぼ同時期にBackstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)のデビュー・アルバムに取り組むため、レコード会社「Zomba」に雇われる事になります。

Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)はリリースした楽曲が次々とヒットし、最初の成功を収めます。1998年にDenniz Pop(デニス・ポップ)が癌で亡くなった後はCheiron Studiosのディレクターに就任しました。この時に、以後長きに渡って共同作業者となるRami Yacoub(ラミ・ヤコブ)と仕事を始めるようになります。

Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)の成功をきっかけに多くのアーティストの楽曲プロデュースを行うようになり、現在でも第一線で活躍している名プロデューサーです。

現在までに26枚のビルボードホット100でのナンバーワンヒットを書いたり共同制作としてクレジットされており、プロデューサーとしては歴代で最も多い24曲の全米首位を獲得しています。

Max Martin(マックス・マーティン)がプロデュースを手掛けたアーティスト

Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)

Max Martin(マックス・マーティン)と言えばBackstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)、Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)と言えばMax Martin(マックス・マーティン)と言えるほど、多くの楽曲をプロデュースしています。

特に2ndアルバム「Backstreet’s Back(バックストリーツ・バック)」は全世界で3000万枚以上、3rdアルバム「Millennium(ミレニアム)」は全世界で4500万枚以上を売り上げ、Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)は世界的ビッグバンドとなります。日本でも2枚のアルバムがミリオンセラーとなる売り上げを記録しています。

Britney Spears(ブリトニー・スピアーズ)

大ヒットとなったデビュー曲「Baby One More Time(ベイビ・ワン・モア・タイム)」は当初、Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)かTLCのどちらかに提供される予定でした。

しかしTLCは自分たちのスタイルには合わないと断り、Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)も他の楽曲を歌う事になったためBritney Spears(ブリトニー・スピアーズ)が歌う事となり、一躍スターダムへのし上がりました。

Max Martin(マックス・マーティン)と言えばBackstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)とBritney Spears(ブリトニー・スピアーズ)の2本柱という印象が強く、どの曲も構成が似ている事も話題となりましたが、それでもBritney Spears(ブリトニー・スピアーズ)は1stアルバムから3枚連続で全世界約1000万枚以上の売り上げを記録します。

特に2ndアルバム「Oops…I Did It Again(ウップス!…アイ・ディド・イット・アゲイン)」は2000万枚以上を売り上げ、リードシングルが1週間で155局のプレイ・リストにエントリーされるという当時の最高記録を塗り替えるヒットとなります。

他にも多くのアーティスト楽曲制作に参加

Westlife(ウエストライフ)

1stアルバム「Westlife(ウエストライフ)」に収録されている「I Need You(アイ・ニード・ユー)」や2nd「Coast to Coast(コースト・トゥ・コースト)」に収録されている「When You Looking Like That(ホエン・ユー・ルッキング・ライク・ザット)」を書いています。

Céline Dion(セリーヌ・ディオン)

Céline Dion(セリーヌ・ディオン)初のベストアルバム「All the Way… A Decade of Song」に収録された「That’s the Way It Is(ザッツ・ザ・ウェイ・イット・イズ)」をプロデュース。この曲はヒットとなり、アメリカとカナダの大人の現代のチャートで1位になり、多くの国でトップ10に達しています。また2003年にも29thアルバム「One Heart(ワン・ハート)」では3曲を提供しています。

Kelly Clarkson(ケリー・クラークソン)

Kelly Clarkson(ケリー・クラークソン)は、2ndアルバム「Breakaway(ブレイクアウェイ)」をプロデュースし、全米だけで600万枚以上をセールスする自身最大のヒットアルバムとなりました。

NSYNC(イン・シンク)

Justin Timberlake(ジャスティン・ティンバーレイク)が所属していた事でも有名なNSYNC(イン・シンク)は、Backstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)の永遠のライバルと言われていたNSYNC(イン・シンク)の楽曲プロデュースも行っています。ヨーロッパで成功を収め、2枚のアルバムが全世界で1000万枚以上を売り上げています。

Marion Raven(マリオン・レイヴン)

2005年にMarion Raven(マリオン・レイヴン)のデビューアルバム「Here I am(ヒア・アイ・アム)」に参加。Break You(ブレイク・ユー)は日本の洋楽チャートで1位となるヒットを記録しています。当時レコード会社との方向性の違いで騒動に発展したことも話題となりました。

The Veronicas(ザ・ヴェロニカズ)

オーストラリア・クイーンズランド州・ブリスベン出身の一卵性双生児の姉妹によるグループ、The Veronicas(ザ・ヴェロニカズ)の1stアルバム「The Secret Life of…(ザ・シークレット・ライフ・オブ…)」のためにシングルカットされた「4ever(フォーエバー)」などを制作。
アルバムは最優秀ポップ・アルバム賞を受賞しています。

P!nk(ピンク)

P!nk(ピンク)の4thアルバム「I’m Not Dead」以降、アルバムリリースには必ずプロデュースに参加しヒットを飛ばしています。シングル「So What(ソー・ホワット)」を始め、近年シングルカットされている楽曲のほとんどに関わっています。

Usher(アッシャー)

Usher(アッシャー)が2010年にリリースしたシングル「DJ Got Us Fallin in Love(DJ・ゴッド・アス・フォーリン・イン・ラヴ)」を制作。ビルボード Rhythmic Chartで1位、また15カ国以上でトップ10入りを果たし、500万ユニット以上のセールスを記録しました。
また2012年には7thアルバム「Looking 4 Myself(ルッキング・フォー・マイセルフ)」を共作し、こちらも大ヒットとなりRIAAからプラチナ認定を受けています。

Avril Lavigne(アヴリル・ラヴィーン)

Avril Lavigne(アヴリル・ラヴィーン)とは2007年にリリースされた3rdアルバム「The Best Damn Thing(ザ・ベスト・ダム・シング)」に収録されている2曲を共作しています。また2011年には4thアルバム「Goodbye Lullaby(グッバイ・ララバイ)」に収録されている3曲を共作しています。What the Hell(ホワット・ザ・ヒル)は日本でもヒットし話題となりました。

Jessie J(ジェシー・J)

Jessie J(ジェシー・J)の代表曲とも言えるシングル「Domino(ドミノ)」でも制作に関わっています。特に全英では2012年年間第8位の売り上げを記録しており、その後Ariana Grande(アリアナ・グランデ)、Nicki Minaj(ニッキ・ミナージュ)との共演で大ヒットしたBang Bang(バン・バン)を制作する事になります。

Ariana Grande(アリアナ・グランデ)

2ndアルバム「My Everything(マイ・エヴリシング)」から制作に参加。Ariana Grande(アリアナ・グランデ)が一躍世界的知名度を果たしたシングル「Problem(プロブレム)」やZedd(ゼッド)との共同プロデュースを行った「Break Free(ブレイク・フリー)」などで参加。

最近では「Yes, And?」がソングライターとして参加したアリアナ・グランデの曲として初の首位を獲得しています。

Katy Perry(ケイティ・ペリー)

大ヒットとなった3rdアルバム「Teenage Dream(ティーンネイジ・ドリーム)」からリリースされたシングルの制作に参加。こちらも次々とヒットし、Katy Perry(ケイティ・ペリー)は1枚のアルバムに収録された5曲のシングルで首位を勝ち取った史上初の女性アーティストとなります。

Christina Aguilera(クリスティーナ・アギレラ)

7thアルバム「Lotus(ルータス)」に収録されている2曲を制作、プロデュースに参加。2曲ともビルボード dance/club chartで1位となりましたが、全世界でランクインしたものの残念ながら商業的成功とは言えない結果となりました。

Taylor Swift(テイラー・スウィフト)

日本でも有名なヒット曲We Are Never Ever Getting Back Together(ウィー・アー・ネバー・エバー・ゲッティング・バック・トゥゲザー)を共作しプロデュースしています。もともとカントリー歌手だった彼女をポップスに転向させたきっかけを作っていると言っても過言ではありません。この曲はリリース後50分でiTunesのシングルチャート1位となる記録を持っており当時の最速記録として話題になりました。以降2014年リリースの「1989」、2017年リリースの「Reputation(レセプション)」でも楽曲制作、プロデュースで参加しています。

Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)

Bon Jovi(ボン・ジョヴィ)はアルバムリリースのためのリードシングルとしてMax Martin(マックス・マーティン)との共作を行います。それがIt’s My Life(イッツ・マイ・ライフ)です。この曲はメンバーとの共作でのみ参加し、プロデュースは行っていませんが、新たなファン獲得のきっかけとなる大事な1曲となり、Max Martin(マックス・マーティン)としても自身制作参加の楽曲でも上位に値する売り上げと記録しています。

The Weeknd(ザ・ウィークエンド)

アリアナ・グランデと2014年に「Love Me Harder」でコラボした際にソングライターとプロデュースとして参加していましたが、その後「Starboy(スターボーイ)」の一部楽曲に参加。その後もアルバムに反映に参加し、ヒット曲を連発しました。ザ・ウィークエンドは再びマックス・マーティンにお願いする際にアリアナ・グランデに紹介してもらったことをあかしており、感謝しているようです。

Max Martin(マックス・マーティン)の魅力

洋楽にあまり詳しくない人だと「日本でいうところの小室哲哉」と例えてしまいがちですが、1997年にBackstreet Boys(バックストリート・ボーイズ)が大ブレイクして以降、20年以上世界レベルで売り上げているプロデューサーはおそらく他にいないでしょう。

例に挙げたアーティストだけではなく、書ききれない程の楽曲を制作し、プロデュースを行っており、ヒットの法則を自ら作り上げていると言ってもいいのではないかと思えてしまうほど、近年のヒット曲にはその名を連ねているのです。

当初こそ似たような構成であるのもにわかにささやかれていましたが、アーティストの魅力を上手に引き出すバリエーションの多さや、つい口ずさんでしまうメロディセンスなど、数えればきりがありません。

彼はプロフィールでも述べた通り、ビルボードホット100でのナンバーワンヒットを書いた数が27曲。これまで長きにわたり26曲という記録で2番目に多く首位を獲得していたJohn Lennon(ジョン・レノン)の記録を超え、2024年に27曲目の首位を獲得し歴代2位となりました。1位はPaul McCartney(ポール・マッカートニー)で32回。

ビートルズに割って入ってきたMax Martin(マックス・マーティン)は今尚ヒットを生み出し続けており、今後この記録を塗り替えてしまうかもしれません。

そしてプロデューサーという立場においては25曲が全米1位を獲得しており、この記録は歴代で最も多い記録となっています。

Max Martin(マックス・マーティン)がソングライターとして関わる全米1位の曲

1. 1999 …Baby One More Time (Britney Spears)
2. 2000 It’s Gonna Be Me (NSYNC)
3. 2008 I Kissed a Girl (Katy Perry)
4. 2008 So What (P!nk)
5. 2009 My Life Would Suck Without You (Kelly Clarkson)
6. 2009 3 (Britney Spears)
7. 2010 California Gurls (Katy Perry featuring Snoop Dogg)
8. 2010 Teenage Dream (Katy Perry)
9. 2010 Raise Your Glass (P!nk)
10. 2011 Hold It Against Me (Britney Spears)
11. 2011 E.T. (Katy Perry featuring Kanye West)
12. 2011 Last Friday Night (T.G.I.F.) (Katy Perry)
13. 2012 Part of Me (Katy Perry)
14. 2012 One More Night (Maroon 5)
15. 2012 We Are Never Ever Getting Back Together (Taylor Swift)
16. 2013 Roar (Katy Perry)
17. 2014 Dark Horse (Katy Perry featuring Juicy J)
18. 2014 Shake It Off (Taylor Swift)
19. 2014 Blank Space (Taylor Swift)
20. 2015 Bad Blood (Taylor Swift featuring Kendrick Lamar)
21. 2015 Can’t Feel My Face (The Weeknd)
22. 2016 Can’t Stop the Feeling! (Justin Timberlake)
23. 2020 Blinding Lights (The Weeknd)
24. 2021 Save Your Tears (Remix) (The Weeknd ft. Ariana Grande)
25. 2021 My Universe (Coldplay & BTS)
26. 2024 Yes, And? (Ariana Grande)
27. 2024 we can’t be friends (wait for your love) (Ariana Grande)

Max Martin(マックス・マーティン)の今後

2024年においても現役バリバリのMax Martin(マックス・マーティン)ですが、ここまで長きに渡ってヒット曲を連発している人は他に見当たりません。

今後もヒット曲をどんどん世に送り出すでしょうし、ビートルズを超えて歴代1位の全米1位獲得数を得られるかもしれませんね。

WRITER

酒井裕紀

洋楽まっぷ管理者。米・英の音楽チャートなどのデータを好み、70年代から最新の洋楽までヒット曲なら幅広い知識を持つ。時代毎の良さがある洋楽の魅力を少しでもわかりやすくご紹介できればと思います。

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