ミッシー・エリオット − 人生がつらすぎてマイケル・ジャクソンにファンレターを書いた少女時代【人生いろいろ−生い立ちが複雑すぎる洋楽アーティストたちVol.5】

ミッシー・エリオット − 人生がつらすぎてマイケル・ジャクソンにファンレターを書いた少女時代【人生いろいろ−生い立ちが複雑すぎる洋楽アーティストたちVol.5】

1990年代からラッパーそして音楽プロデューサーとして、第一線で活躍してきたMissy Elliott(ミッシー・エリオット)。「女性ラッパー」というポジションの草わけ的存在でもある彼女ですが、その幼少期は悲惨なものでした。

母に銃をつきつけた父から逃れた少女時代

アメリカのバージニア州で生まれ育ったミッシー。経済的に恵まれず、ネズミがたくさんいるような家に住んでいたそう。父のロニーは暴力的な人で、毎日のように母パトリシアを殴りつけていたんだとか。ミッシーは幼いころ、自分が留守のあいだに母が殺されてしまうことを恐れ友達のうちにも遊びにいけなかった、と語っています。

さらに彼女は、8歳のときに自身のいとこから性的虐待をうけるという恐ろしい経験も。「何年たっても、まるで昨日のことのように思い出してしまう」ほどの深いトラウマを負ってしまうのです。

そんなつらい毎日の中、彼女は自分の部屋にひとり閉じこもり空想の世界にひたるようになります。当時おきにいりだった「The Jacksons(旧ジャクソン5:マイケル・ジャクソンがボーカルを務めていたユニット)」に助けを求めるファンレターを書いていたんだとか。音楽が、彼女に癒やしと希望を与えたのです。

そしてミッシーが14歳のときに、大きな転機がおとずれます。父が母に銃をつきつけ、あわや殺してしまいそうになるのです。さすがに身の危険を感じ、ミッシーをつれて家から着のみ着のまま飛びだした母親。そしてもう二度と父のもとにもどることはなかったのです。

“天才”ゆえに味わった孤独

母親とふたりきりでの生活で経済的にさらに苦しくなったものの、家庭内暴力から逃れたことでとても幸せだった、と語ったミッシー。つらい毎日をすごしていても、彼女は学校ではいつも明るく人気者で、よく周りの子たちを笑わせていたそう。

ところが、あるとき学校で受けたIQテストでミッシーの知能指数が飛びぬけて高いことが判明。その結果、彼女は2つも上の学年に飛び級させられてしまうのです。当時勉強に興味がなく、音楽とクラスメートを笑わせることだけを生きがいにしていたミッシーにとっては、なんとも皮肉なことでした。

幼いときから、苦しい生活からのがれるために“スーパースターになりたい”と思い続けていた彼女は、その後17歳で4人組女性R&Bグループ「シスタ(Sista)」を結成し、幼馴染である Timbaland(ティンバランド)に声をかけ、プロデューサーとして起用します。その後紆余曲折がありながら、1997年に「The Rain(Supa Dupa Fly)(ザ・レイン)」でメジャーデビューを果たしたミッシー。そこから5度のグラミー賞を受賞し、歴史上もっとも成功した女性ラッパーとなるのです。

Missy Elliott - The Rain (Supa Dupa Fly) - YouTube

「ザ・レイン」のMV

また音楽プロデューサーや、ソングライターとしての才能も抜群の彼女。古くは、飛行機事故で亡くなった伝説の歌姫 Aaliyah(アリーヤ)から、Deistiny's Child(ディスティニーズ・チャイルド)、Janet Jackson(ジャネット・ジャクソン)など数々のアーティストに楽曲を提供。近年では、Katy Perry(ケイティ・ペリー)やDua Lipa(デュア・リパ)などのポップスターとコラボするなど、その活躍の幅は広がるばかり。

50代に突入してもなお輝きつづけるミッシー・エリオット。幼少期のつらい経験が、彼女を常に奮い立たせているのかもしれません。

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