結成60周年のザ・ローリング・ストーンズ、激動の歴史を深掘り解説【後編】

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洋楽コラム

2022年7月12日に結成60周年を迎えたThe Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)

いくつかの解散の危機を乗り越え、1度も解散することなく第一線で活躍を続け、史上最も売れたロック・バンドの1組に挙げられるザ・ローリング・ストーンズの激動の歴史ですが、前回主に60年代~80年代に焦点を当てて振り返っていきました。

後編となる今回は90年代から現在までの歴史や影響などをまとめました。

前編もCHECK!!
結成60周年のザ・ローリング・ストーンズ、激動の歴史を深掘り解説【前編】

The Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)のプロフィール

The Rolling Stones
IMAGE VIA:What people don’t tell you about the Rolling Stones on their No Filter tour | Louder

The Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)は1962年にロンドンで結成されたイギリスのロックバンド。

60年間活動し、ロック時代の最も人気があり、不朽のバンドのひとつです。

バンドの推定レコード・セールスは2億枚で、史上最も売れた音楽アーティストのひとつです。バンドは3つのグラミー賞とグラミー生涯功績賞を受賞しています。彼らは1989年にロックの殿堂入りし、2004年に英国音楽の殿堂入りを果たしました。

CHECK!!
The Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)のプロフィール・バイオグラフィーまとめ

それではザ・ローリング・ストーンズのキャリアを見ていきましょう。

The Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)のキャリア

1989-1999 復活

ロックの殿堂
IMAGE VIA:The Rolling Stones | Rock & Roll Hall of Fame

1989年初頭、バンドはロックの殿堂入りを果たしました。ミックとキースは敵意を一旦脇に置き、バンドの新しいアルバム『Steel Wheels(スティール・ホイールズ)』の制作に取り掛かりました。 2人はわずか数週間で約50曲を作曲した後、ロン、ビル、チャーリーをレコーディングを開始するために呼び出し、クリス・キムジーに共同プロデューサーを依頼しました。ミックとキースの関係も改善されていたことでセッションはかなり調和のとれたものとなっていたようです。

前作から3年半の期間を経てリリースされたアルバムは、全英2位、全米3位と『Tattoo You』以来8年ぶりにどちらの国でもトップ3入りを果たし、高いセールスを記録しました。アルバムのツアー「スティール ホイールズ / アーバン ジャングル ツアー」は、バンドにとって7年ぶりのワールド・ツアーであり、これまでで最大のステージ制作となりました。オープニング・アクトにはLiving Color(リヴィング・カラー)とGuns N’ Roses(ガンズ・アンド・ローゼズ)が出演。1990年2月には日本での公演がついに実現し、東京ドームで10日間にもわたる来日公演も行われました。

ツアーを収めたライヴ・アルバム『Flashpoint(フラッシュポイント)』は翌1991年にリリースされ、このツアーを最後にビルが脱退。ツアー終了後、バンドは休息をとったこともあり1993年1月までその事実は公表されませんでした。メンバーはその間、ソロ活動を中心にアルバムリリースやツアーなどを行いました。

ビルが去った後、バンドはCBSレコードとの契約を終了し、ヴァージン・レコードを契約。ヴァージン・レコード3枚のライヴ・アルバムを除いて、『Sticky Fingers』から『Steel Wheels』までのバンドのバック カタログをリマスタリングし、再パッケージ化。1993年にはアメリカ以外の全世界でコンピレーション・アルバム『Jump Back: The Best of The Rolling Stones(ジャンプ・バック)』をリリースしました。

次のスタジオ・アルバム『Voodoo Lounge(ヴードゥー・ラウンジ)』の準備が整ったバンドはレコーディングを開始。チャーリーはビルの後任ベーシストにDarryl Jones(ダリル・ジョーンズ)とSting(スティング)を提案。最終的にダリル・ジョーンズがその代役を務めることとなります。レコーディングはロサンゼルスで行われ、翌1994年にリリースされると全英チャートでは『Emotional Rescue』以来の1位を獲得。全米でも2位と高いチャートアクションとなりました。第37回グラミー賞では初めて最優秀ロック・アルバム賞を受賞しました。

アルバムをサポートするツアー「ブードゥー・ラウンジ・ツアー」は翌年まで続き、3億2000万ドルを売り上げ、当時世界最高の興行収入を上げたツアーとなりました。同年行われたMTVビデオ・ミュージック・アワードでは生涯功労賞を受賞しています。また同年、インターネット上でコンサートを中継放送を試み、ストリーミング・ビデオの最初のデモンストレーションの1つとなりました。

翌1995年には「ブードゥー・ラウンジ・ツアー」を収めたライヴ・アルバム『Stripped(ストリップド)』をリリース。少しの間休息を取り、翌1996年の夏にミックとキースはニューヨークやロンドンでデモ制作を開始しました。翌1997年にメンバーが揃い、ロサンゼルスでレコーディング・セッションを開始。プロデューサーに再びドン・ウォズを迎え、わずか4カ月で行われました。『Bridges to Babylon(ブリッジズ・トゥ・バビロン)』は同年9月にリリース。いくつかの国で1位を獲得するも、全英では6位、全米では3位と少し落ち込む結果となりましたが、セールス面では前作とほぼ変わらない結果となり、その後の「ブリッジズ・トゥ・バビロン・ツアー」ではヨーロッパ、北米、その他の目的地を横断。バンドが依然として強力なライヴ・アトラクションであることを証明します。

1998年にツアーが終了するとすぐにライヴ・アルバム『No Security(ノー・セキュリティ)』がリリースされます。その後バンドは休息を取りながらもソロ活動も行うようになり、ミックは2001年にソロ・アルバムをリリースしています。

2000年代

ハーバー・フェスト
IMAGE VIA:The Rolling Stones perform in Hyde Park – Wales Online

2002年、バンドは結成40周年を記念した2枚組のコンピレーション・アルバム『Forty Licks(フォーティ・リックス)』をリリース。1960年代のデッカ/ロンドン時代の形成期を組み合わせた最初の回顧展となった作品で全世界で700万枚以上を売り上げました。翌2003年にはカナダのトロントで行われた音楽下フェスティバル「モルソン・カナディアン・ロックス』にヘッドライナーとして出演。45万から50万人がコンサートに参加したと推定され、カナダの歴史の中で最大の野外チケット・イベントであり、北米の歴史の中で最大のもののひとつとなりました。当時流行していたSARSの影響からトロントの経済を復活させたいと考えていたバンドが提案して実現したものでした。バンドは他にもSARSの影響を受けた経済を支援するために、ハーバー・フェストの祝典の一環として、香港で最初のコンサートを行いました。翌2004年11月、バンドは英国音楽殿堂入りを果たしています。

翌2005年、8年ぶりとなったスタジオ・アルバム『A Bigger Bang(ア・ビガー・バン)』をリリース。1970年代の全盛期に耳を傾ける基本的なハード・ロック・アルバムの制作に着手し、多くの曲は、ミック、キース、チャーリーのコアバンドだけで録音されました。ロンは16曲のうち10曲のみで演奏し、アルバムのレコーディングを構成する外部のミュージシャンからの貢献は時折ありました。またミックがいくつかの曲でベースを担当した最初のアルバムでもあります。アルバムは世界11か国で1位を獲得しました。

リードシングルとなった「Streets of Love(ストリーツ・オブ・ラヴ )」は全英チャートで15位を記録し、11年ぶりにトップ20入りを果たし、スペインでは1位を獲得しました。

The Rolling Stones – Streets Of Love – OFFICIAL PROMO

その後の「ア・ビガー・バン・ツアー」は同年8月に始まり、北米、南米、東アジアをまわり、その間2006年2月にはミシガン州デトロイトで開催されたスーパーボウルXLのハーフタイム・ショーに出演しました。2005年末までにツアーは総収入で1億6,200万ドルの記録を打ち立て、1994年にバンドが設定した北米ツアーの記録を更新。を破りました。ハーフタイム・ショーに出演後すぐに、リオ・デ・ジャネイロのコパカバーナ・ビーチで100万人以上の人々を前に無料コンサートを行いました。これは史上最大のロック・コンサートのひとつとなりました。

同年3月から4月にかけて日本、中国、オーストラリア、ニュージーランドで公演した後、ヨーロッパに進む前に予定されていた休憩中、キースがフィジーで休暇中、木から落ちた後、頭蓋手術のためにニュージーランドに入院しました。この事件により、ヨーロッパ・ツアーの開始が6週間延期となりました。またミックの喉の問題により、3つのショーがキャンセルされ、他のいくつかのショーのスケジュールが変更されました。翌2007年、再びヨーロッパに戻り、8月26日、ロンドンのO2アリーナでツアーの最後のコンサートを行いました。最終的にこのツアーでバンドは記録的とも言える5億5,800万ドルを稼ぎ、2007年版のギネス世界記録に登録されました。

翌2008年にはEMIを離れ、ユニバーサル・ミュージックと契約。『Sticky Fingers』以降のアルバムはユニバーサル傘下のポリドール・レコードから新たにリリースされました。また同年秋頃、ミックとキースは『Exile on Main St.』セッションからの未完成の10曲に新しいボーカルとギターパートを追加しました。 ミックとテイラーもロンドンで一緒にセッションを録音し、そこでテイラーは拡張されたアルバムのシングル「Plundered My Soul」に新しいギタートラックを追加しました。

The Rolling Stones – Plundered My Soul

2010年代

カンヌ国際映画祭
IMAGE VIA:Stones In Exile – Photocall:63rd Cannes Film Festival

2010年、Stephen Kijak(スティーヴン・キジャック)が監督を務めたアルバム『Exile on Main St.』のレコーディングについてのドキュメンタリー映画『Stones in Exile(ストーンズ・イン・エグザイル~「メイン・ストリートのならず者」の真実)』のためにカンヌ国際映画祭に映画のプレミアで参加。同年、更なるリマスターと共に、未発表曲や未発表テイクを追加収録した『Exile on Main St.』のデラックス盤がリリースされ、全英チャートで1位を獲得。全英チャートにおいて過去作の再発盤が首位を獲得した初の事例となりました。全米チャートでも2位と高い成績を収めています。

財務マネージャーのプリンス・ルパート・ローウェンスタインはレコーディングとツアー活動を縮小し、資産を売却することをバンドに提案するもバンドが同意しなかったこともあり、40年間努めたマネージャーを辞めました。これを受けて長年関わっていた弁護士のJoyce Smyth(ジョイス・スミス)がマネージャーとなります。

2012年夏にバンドは結成50周年を祝い『The Rolling Stones: 50』という写真集を出版。シェパード・フェアリーがデザインしたバンドの唇と舌のロゴの新しいテイクも公開され、祝賀会で使用されました。ミックの弟クリスは、スロベニアのザ・ローリング・ストーンズ・ミュージアムで祝賀会に合わせてギグを行いました。

同年10月にはBrett Morgen(ブレット・モーゲン)が監督を務めたドキュメンタリー映画『クロスファイア・ハリケーン』が公開。約50時間におよぶインタビューが行われ、その中にはビルやテイラーへのインタビューも含まれました。翌11月、結成50周年を記念したコンピレーション・アルバム『GRRR!』をリリース。Walton Ford(ウォルトン・フォード)がデザインしたバンドの舌と唇のロゴを持つゴリラのアートワークは、ウォルトンが「I Don’t Like to Look at Him, Jack. It Makes Me Think of that Awful Day on the Island(私は彼を見るのが好きじゃない、ジャック。 島でのあの忌まわしき日を思い出す)」と題されたキングコングをテーマにした自身のシリーズを使用したものですが、ファンからはあまりいい反応を得られませんでした。

The Rolling Stones – Doom And Gloom

バンドはアルバムリリース後すぐにロンドンのO2アリーナで「50&カウンティング…ツアー」を開始。このツアーではテイラーもゲストとして参加しました。初日にはJeff Beck(ジェフ・ベック)が、2日目にはEric Clapton(エリック・クラプトン)とFlorence Welch(フローレンス・ウェルチ)がステージに参加しました。アメリカでのショーは12月8日にニューヨーク州ブルックリン区のバークレイズ・センターからスタートし、ニュージャージー州ニューアークのプルデンシャル・センターでの公演ではBruce Springsteen(ブルース・スプリングスティーン)とThe Black Keys(ザ・ブラック・キーズ)が参加しました。

「50&カウンティング…ツアー」は翌2013年の夏ごろまで続き、同年末には早くも次のツアー「14・オン・ファイアー・ツアー」としてオーストラリアとニュージーランドの完全なツアー日程のアナウンスが行われました。しかし2014年3月17日に2001年以来ミックのパートナーであるL’Wren Scott(ローレン・スコット)が突然亡くなり、オーストラリアとニュージーランドのスケジュールは再調整されました。その後ミックが

同年6月4日、バンドはイスラエルで初めてコンサートを行いました。60年代、当時の首相とイスラエル議会の多数の政治家は、ロック・パフォーマンスがイスラエルの若者の心を腐敗させる可能性があると信じていたこともあり、イスラエルは注目すべきアーティストの予定されていた公演をキャンセルしていました。そのためこの公演は歴史的なものとなりました。

ツアーは同年11月にニュージーランドのオークランドで終了し、翌2015年にはサンディエゴで始まり、北米を横断するツアー「ジップ・コード・ツアー」を開始。約2カ月かけて行われたツアーは「14・オン・ファイアー・ツアー」の延長として行われました。

翌2016年にはラテン・アメリカ・ツアーに乗り出し、3月25日に行われたキューバでの公演は後にコンサート・フィルム『The Rolling Stones: Havana Moon(ハバナ・ムーン ストーンズ・ライヴ・イン・キューバ2016)』として同年秋に1日限定で公開されています。また同年、『Stripped』のプロジェクトに関するドキュメンタリー映画をフィーチャーした、の拡張および再構成盤『Totally Stripped(トータリー・ストリップド)』をリリース。その後12月には11年ぶりのスタジオ・アルバム『Blue & Lonesome(ブルー&ロンサム)』をリリースしました。バンド初のカバーアルバムとなった今作はわずか3日間で制作され、エリック・クラプトンがゲスト参加。全英チャートでは22年ぶりの1位を獲得しました。

またアルバムからのシングルは全米ビルボードのデジタル・ブルース・ソングス・チャートに初めて対象となり、「Just Your Fool(ジャスト・ユア・フール)」、「Hate to See You Go(ヘイト・トゥ・シー・ユー・ゴー)」、「Ride ‘Em on Down(ライド・エム・オン・ダウン)」の3曲が1位を獲得しました。

The Rolling Stones – Ride 'Em On Down

翌2017年にはバンドが10年以上ぶりのスタジオ・アルバムのレコーディングの準備を進めていると報じられましたが、2022年時点でその発表なありません。これは2020年以降のCOVID-19パンデミックが大きく影響しているようです。同年9月よりヨーロッパと北米を回るツアー「ノー・フィルター・ツアー」を開催。9月から10月にかけてはヨーロッパ全土の12の会場で14回の公演が行われました。12月には1963年から1965年にBBCで放映されたバンドの18のライヴおよびスタジオ録音が含まれたライヴ・アルバム『On Air(オン・エア)』をリリース。ツアーはその後、翌2018年5月から7月まで延長され、2006年以来となるイギリスでの公演が行われました。

翌2019年3月にミックが心臓弁置換術を受けることが発表され、ツアー・スケジュールが一時延期。5月には再調整したスケジュールを発表しますが、翌2020年3月、COVID-19パンデミックの影響によりツアーは再び延期を余儀なくされました。

2020年代

ロックダウンの中でシングル「Living in a Ghost Town(リヴィング・イン・ア・ゴーストタウン)」をリリース。ロックダウン前にバンドがスタジオで録音していた新しい素材の曲で2012年以来の最初のオリジナル曲となり、全米ビルボードのデジタル・ロック・チャートで初の1位を獲得。さらにドイツでは52年ぶりに1位を獲得し、史上最年長のアーティストとなりました。

The Rolling Stones – Living In A Ghost Town

翌2021年8月、チャーリーは不特定の医療処置を受け、残りのツアーには出演せず、代わりにバンドの長年の仲間であるSteve Jordan(スティーブ・ジョーダン)がドラマーとして参加することが発表されました。そのわずか数日後の8月24日、チャーリーはロンドンの病院で家族に看取られて死去。バンドの公式ウェブサイトの内容は10日間、チャーリーの1枚の写真に置き換えられました。

その後もツアーは行われ、各コンサートの冒頭で、チャーリーの写真とビデオを上映。最終的にバンドは2021年の最高の収益を上げたライヴ・アクトになりました。

翌2022年、結成60周年記念のワールドツアー「シックスティ・ツアー」を開始。6月にスペインのマドリードで始まり、8月にドイツのベルリンで終了。1966年の曲「Out of Time(アウト・オブ・タイム)」が初めてセットリストに追加されました。

結成60周年を迎えたバンドは記念硬貨が英国王立造幣局によって発行されることが決定。「ミュージック・レジェンズ」シリーズの第5弾としてHannah Phizacklea(ハナ・フィザックレア)がデザインした記念硬貨はライヴでの観衆を前にしたバンド中期のパフォーマンスを描いたもので、1973年のクラシックなフォントが採用。また、エリザベス二世の肖像が描かれた2022年最後の硬貨となっています。

ローリング・ストーンズの功績

ローリング・ストーンズの功績
IMAGE VIA:The Rolling Stones: A First-Time Listener’s Study Guide – Billboard

1962年の結成以来、何度も確執を乗り越えてきたローリング・ストーンズは、30枚のスタジオ・アルバム、23枚のライブ・アルバム、25枚のコンピレーション・アルバム、120枚のシングルをリリースしてきました。

イギリスのオフィシャル・チャート・カンパニーによると、ローリング・ストーンズは史上4番目に売れたグループにランクされています。

ローリング・ストーンズはブルースの語彙に貢献し、スラングを生み出し、彼らの様々な文化的姿勢を示す音楽的な「融合の前衛」と捉えられ、イギリスやその他の国の若者にも親しみやすいものとなりました。

これまでに全世界で2億4千万枚以上のアルバムを販売し、48回以上のツアーを開催。その中には史上最高の売上を記録した3つのツアー、「Bridges to Babylon Tour」、「Voodoo Lounge Tour」、「A Bigger Bang Tour」が含まれています。

ローリング・ストーンズは、バンドとしても、個人としても、新しい世代の音楽アーティストに影響を与え、リードしてきました。また、「ポピュラー音楽のビジネスモデル全体」を変えたことでも知られています。60年代よりビートルズと比較されることはよくありましたが、ミックはインタビューで「ビートルズはアリーナ・ツアーを一度もやっていない。」と語り、「彼らは本物のツアービジネスが生まれる前に解散した」としてバンドとしての成功への過程が大きく異なっていることを含ませました。もちろん競争なんて一切なかったとしており、ライバルとさえ言われながらも関係は良好だったようです。

バンドは、3つのグラミー賞(および12のノミネート)と1986年のグラミー生涯功労賞、1991年のインターナショナル・エンターテイナー・オブ・ザ・イヤーのジュノ賞、英国のジャズFMアワード・アルバム・オブ・ザ・イヤーを含む複数の賞を受賞し、ノミネートされています。

最後に

ローリング・ストーンズについてその経歴を振り返っていきましたが、1960年代前半から現在まで半世紀以上、1度も解散することなく今尚現役で活躍しており、生ける伝説とも言えるバンドです。

是非この機会に初期の名曲・ヒット曲を知らない世代の方にもThe Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)の魅力が少しでも伝わればと思います。

以上、The Rolling Stones(ザ・ローリング・ストーンズ)についてご紹介しました。

前編もCHECK!!
結成60周年のザ・ローリング・ストーンズ、激動の歴史を深掘り解説【前編】

WRITER

ISAO

1920年代以来、ハリウッド映画、ジャズ、ブロードウェイと「Tin Pan Alley」音楽の時代でしたが、ラジオ放送開始と共にポピュラー音楽の時代が到来、後にはメンフィスに生まれたロックンロールを介して、米国は長らく世界のサブカルチャー(大衆娯楽文化)を支配して来ました。…が、ビートルズを機に「British Invasion(英国の侵略)」が始まり、世界に革命的な衝撃を与えました。このような大きな節目、歴史的転換期に遭遇したISAO(洋楽まっぷ専属ライター)が思いついたことを、気の向いたままに、深く掘り下げていきます。

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