【HIPHOPをDIGる】G-FUNKの生みの親!Dr. Dre(ドクター・ドレー)とは?

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洋楽コラム

今回は、現在でも多大の影響をシーンを超えて与え続けるG-FUNKを生み出したレジェンドラッパー『Dr. Dre(ドクター・ドレー)』をみていきながらHIPHOPを簡単に掘り下げていこうと思います。

このシリーズでは、これからHIPHOPを知りたいという方向けに端的にアーティストを掘り下げてオススメ曲などを紹介していきますので、もし気になる曲やアーティストがいたら、ぜひプレイリストなどの参考にしてみてください。

HIPHOPに革新を与えた男!Dr. DreのHIPHOP遍歴とは?

Dr. Dreこと、Andre Romel Young(アンドレ・ロメル・ヤング)はカリフォルニア州のコンプトン出身のラッパー兼プロデューサーで、全盛期はアメリカ西海岸の伝説的クルー“NWA”のメンバーとしてHIPHOPの常識を作ってきました。

プロデューサーとしてもこれまでにプッシュしたアーティストは数知れず、2パック、スヌープ・ドッグ、エミネム、50セント、ケンドリックラマーなどHIPHOPシーンのトップアーティスト達は皆彼に育てられたといっても過言ではありません。

また、アーティストとしての活動だけでなく“beats by dr.dre”という今では知らない人はいないようなヘッドフォンブランドを設立しアップル社に合計30億ドルで売却するなど、HIPHOPドリームを実現した代表的なラッパーと言えるでしょう。

彼がキャリアを開始したのは18歳の頃で“ワールド・クラス・レッキン・クルー”というグループのメンバーとして活動していました。しかし、メンバー内の金銭トラブルによって解散することになり、その後先ほど挙げたように伝説と言われるHIPHOP最重要グループ“N.W.A”の初期メンバーとして名を挙げます。

ここで数多の名曲を残すものの、N.W.A内の中心メンバーであるイージー・Eがギャラをピンハネしているのではないかという疑惑が浮上し、そこからメンバー同士の確執を生んでしまうようになり、ドレーは結局グループを脱退してしまいます。伝説的グループだけあって解散が悔やまれますが、ここから彼は、N.W.A時代に劣らない輝かしいソロ活動をスタートさせるのです。

ここからが私が思うドレーの本当の凄さだと思うのですが、脱退後にソロ活動の起点として、Death Law(デス・ロウ)レコードを立ち上げ、それまで東海岸ヒップホップに比べて10年遅れていると言われてきた西海岸ヒップホップを彼の手腕で一気に形勢逆転させるのです。具体的にいうと、スヌープ・ドギー・ドッグを発掘・プロデュースし、わずか2枚のアルバムだけで“G-FUNK”というギャングスタラップのブームを巻き起こします。これを機にこぞって西海岸のラッパー達が彼らの後追いをし、ドクタードレといえばG-FUNKの生みの親という常識が生まれるようになりました。

そんなDr. Dreのカリスマ的音楽性を捉えるために、ここでは彼の素晴らしさが表れている曲を紹介しようと思います。

私が思う『Dr. Dre』の代表的な曲はこちらです!

Dr. Dre ft. Snoop Dogg – Nuthin’ But A G Thang – YouTube

私が個人的にDr. Dreの魅力が溢れていると思う曲はこの“Nuthin’ But A G Thang”です。

なんといっても、

“聴くだけで西海岸の気候を感じさせるような、気の抜けた上物シンセとえげつないスキルを発揮する二人のリズミカルなラップ”がたまりません。

彼自身はさることながら、彼が手掛けた楽曲、アーティスト達が現代に与えた影響は計り知れません。また彼を中心としたHIPHOPの文脈はまだまだたくさんあるので興味があれば他のアーティストも掘ってみると面白いかもしれません。

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WRITER

TOY吉

洋楽なら幅広く聴きますが特にHIP HOP、R&B、ソウル、ファンクを好みます。

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